【海人サイド】

仕事場に戻ったのは、夜の11時を過ぎてからだった。
あの子と話をしていたら、すっかり遅くなってしまった。
やれやれ、最近は時間が経つのも早く感じる。時間の有限性というのを、ひしと感じる今日この頃。
予定より遅くなってしまったから、課員たちも怒っているだろう。いや、もしかしたら心配してくれているだろうか?
罪悪感と少しの淡い期待を抱きながらも、捜査一課の扉を開ける。

「課長、遅いですっ!!」
「休憩長かったですね、亀だってもう少し早く歩きますけどね~?」
「もう疲れましたよぉ~」

扉を開けると同時に、案の定、そんな声が飛び込んできた。
俺に対して怒る課員、あまり気にしない課員、もう疲れたと根をあげる三人の課員。
俺のことを心配してくれている
その三人が、いまだ残業で残っているのだった。

「悪い悪い。ちょっとたて込んじゃって」
「時間通りに戻ってこないなんて、社会人としてどうなんです!」
「こっちはもうすぐ終わりそうですけど、そろそろ帰っていいですか?課長の戻りがあまりにも遅いので私、化石化して石油化するかと思いました」
「もうやですぅ~……」

それぞれ、思い思いの言葉を俺にぶつけてくる。
てか化石化してからさらに石油化って……そこまで戻るの遅かったですか、俺?

「おいおい、そんな一気に言われても。ま、とりあえず今日はもう帰っていいよ。レンとルカは」

時間にルーズな俺に対して厳しい課員がレン。毒舌ながらも黙々と仕事を進めるクールビューティな課員がルカだ。
ちなみにレンが配属されたのはつい昨日今日の話なのに、何故かもうこの場になじんでいる。
おまけにこうして俺をバッシングしてくるし。そのくせ仕事はできるから、俺は何も言えなくなるのだった。

「えぇ~私はぁ?」

そして、このやる気なさげな女子課員が、リンである。まだ社会人になってから間もないからか、いまだに学生意識が
抜けない奴だ。

「リンはあとちょっと残ってくれないか?」
「やだぁ~……、あ、でも、課長さんの家に泊めてくれるならいいですよっ!!」
「それは無理」
「えぇ~、じゃあもうやりません。誰に何言われてもやりません」
「いや、一応課長命令なんだが……」
「課長なんて、そんなの知りませーん。仕事場を抜ければ……私たち愛する夫婦じゃないですか……ぽ」
「なにが、ぽ、だよおい。俺らいつ結婚したんだ?」
「ちゃんとこれにハンコ押しましたよぉ~、ほら」

リンが差し出したのは一枚の紙。なんだこれ、婚姻届け……?

「て、おい!!これ俺の実印じゃんか!どうやって手に入れた!?」
「課長さんのお家で手に入れましたぁ……。これで……やっと、私たち結ばれますねっ」
「あー、うん、とりあえず逮捕してもいいかな」
「やぁ、やですよ~。あ、でも、課長さんならされてもいいかも」

頬を赤らめるリン。それはさながら恋する乙女のようだ。
まぁ、その様子は男子を一撃でノックアウトするような威力もあるのだが、リンの行動はなんというか、ヤンデレめいているというか、危なっかしい。
というかこんなやつが警察組織にいていいのか。

「とりあえずその婚姻届けは没収」
「やですぅ♪どうしてもっていうなら、私から奪ってみてっ」

ぴょんぴょんと逃げ回るリン。さすがに俺よりいくつか若いだけある。まだその若さからあふれるエネルギーは有り余っているようだ。こんな事務仕事より、現場のほうがよっぽど向いているんじゃないか。

「はいはーい。おしどり夫婦はほっといて、俺ら帰りますんで」
「リンちゃん、夫婦漫才してないで、仕事は早く終わらせなさい。ただでさえ仕事遅いのに。鍾乳石の成長速度のほうがまだ早いんじゃないかしら」
「そ、そんなに遅いですか私……?ところで、しょーにゅうせきって何ですか、課長?」
「……お疲れ二人とも。ゆっくり休んでくれ」

リンの疑問を華麗にスルーし、二人を見送る。
部屋に残るはリンと俺。まず誤解されないうちに断っておくが、リンとは別に彼氏彼女とかそういう関係じゃない。
リンが一方的に俺のことを好いているだけだ。自分でいうのもなんだけれど。
死に物狂いで5分くらい奮闘した末、ようやく俺はリンから結婚届を奪い取る。そして、即座にびりびりと破った。復元不可能なくらいに。

「あぁ~……破らないでくださぃ~」
「だめ。俺らそういう関係じゃないだろ?」
「むぅ、別に私はいいですよ?課長さんに、私の……初めてをあげても」
「俺はやだよ。てかそういうことを軽々と口にするんじゃない。あと実印返せ」
「うー、あー」

ふくれっ面になるリン。どうみても精神年齢は中学生あたりで止まっているような気がしてならないんだが、そのことはあえて口にしないでおく。

「実印は持ってないです。そのハンコ偽物です」
「え?」
「サプライズで喜んでくれるかなーと思って、それっぽいの作ってみましたー♪上手くできて……あいたたっ!たたかないで下さいよぉ~」
「ったく、変なことして」

正直ビビった。本気で逮捕しようかと思った。俺はびりびりに破った婚約届を、ごみ箱へと捨てる。
リンはその様子を、これ見よがしに悲しそうな顔をして見ていた。

「ねぇ、課長さん、結納だけでもしてくれませんか?結納だけでいいですからっ」
「いや、だけってなんだよ。結納と結婚はセットだから。結納だけとかそんな器用な婚礼行事ないから」
「むぅ」

さらにふくれっ面になるリン。怒りたいのは俺のほうなんだけど。

「それで、なんですかぁ?まだ私だけ仕事があるんですかあ?」
「いや……、お前も帰っていい。なんか疲れたもう」
「わーい♪じゃあじゃあ、お家にお泊り会……あいたっ。もー、パワハラはんたーい、ですー」
「おとなしく帰ってくれよ。タクシー代やるから」
「はーい」

俺は仕方なしに財布を開く。財布には、一万円しか入ってなかった。

「ほら」
「わぁ、今日の課長さんはとーってもリッチですネェ」
「言っとくけど、おつりは明日返してくれよ?」
「はーい。実はもう帰るつもりで、帰り支度は準備万端ですっ」
「そういう準備は早いんだな……。なら、さっさと帰って寝るんだぞ」
「はーい」

元気に返事をするリンを横目に、自分のデスクに座った。
座った途端に、疲労がどっと押し寄せてくる。
今日はもう十分働いたな俺も。あと少し仕事終わらせてから帰るかな。
そう思いながら、一つ大きな欠伸をする。

「ねぇ、課長さん」
「ん?なんだ。もういいから帰――」

そこで、思わず言葉を止める。リンが、一転して真剣な表情をしていたからだ。

「課長さんも、あまり無理しないでください。目のクマ、ひどいです」
「え?」
「わ、私は別に倒れてもいいですけど。元気だけが取り柄ですしね、あはは。でも、課長さんには倒れられたら困りますっ」
「そんなにひどいか?」
「ヤバいですっ。ひどすぎてゾンビみたいですっ」

そこまで言われてしまうのか、今の俺は。
まぁ、最近色々と仕事続きだったからな。正直、今回の仕事はきつい。
とある殺人事件について……調査をしているからだ。
犯人の痕跡は見つかっていないことから、おそらく相手は殺しのプロだと思われる。指紋も髪の毛の一つも、現場には残っていない。
最近、こういった、手掛かりの見つからない殺人事件が多発している。確信はないが、この都心の近隣でばかり事件が起きていて、殺しの手法も一致していることから、犯人は同一犯だ。
そしておそらくその正体は……殺し屋。漫画の世界だけじゃなく、殺し屋は現実世界にもいる。
そうして、闇の中からひっそりとターゲットを狙っているのだ。今もどこかで誰かを狙っているかもしれない。
なんとか、それを阻止しなければいけないのが俺ら警察官の仕事……のはずなのだが、いまだに解決の糸口は見えていなかった。だからこうして、夜遅くまで残業しているわけである。
犯人というか、首謀者の目星は大体ついているんだが、未だに証拠がつかめない。これではいいように踊らされているだけだ。

「まぁ、リンにそう見えるならそうなんだろうなぁ。少し仕事終わらせたら、俺も帰――」
「駄目ですっ!!」

名前の通り、凛とした声が部屋中に響いた。思わずびっくりして、そこに一瞬の間が空く。
何とも言えない空気の中、先に口を開いたのはリンのほうだった。

「……ごめんなさい。その……私、課長さんが心配で」
「俺が?」
「課長さん、最近ちゃんと家に帰ってますか?」
「ん、あぁ、まぁ……な」

どっちつかずの曖昧な返事。正直なところでいうと、一週間くらい家に帰ってはいない。
仕事に追われ、帰れないのだ。管理職は地位的に偉いばかりじゃない。責任も問われる重大な仕事だけに、残業することも少なくなかった。

「嘘。私知ってるんですから。いつもいつも、課長さんが車の中とか、ここのソファーで寝てるってこと」
「……なんだ。ばれてたのか」
「バレバレですよっ。私、いつも早く来るのに、何故か課長さん先にいるんですもん。そんなのが一週間も続けば、私でもわかりますって。だから、今日くらいはちゃんと帰ってください。ホントに倒れちゃいますよ?課長さんが倒れたら、誰が一課を統括するんですかっ!」

そう叫ぶリンは、少し泣きそうだ。
きっと、本当に俺のことを心配してくれているのだろう。ありがたいことだ、こんなにも上司思いの部下に恵まれて。きっと端から見れば、俺は幸せなやつなんだろうな。
行動はちょっと変なところもあるけども、リンのそういったところは、褒めるべきだと思う。
けれど素直に褒めるのも癪だったので「リンは優しいな」とか言いつつ、ぽんぽんと、リンの頭をなでる。

「ひゃっ!?わわわわ、私は別にそのっ……かかかかか課長さんに無理してほしくなかっただけですし……そそそそれより頭を撫でるとか………ふふふ不意打ちは禁止ですっ!」
「はは、リンは面白いな」
「からかわないでくださぃ~!」

そう言いつつも、リンはさほど嫌そうな顔をしなかった。
さっきの泣きそうな表情はもうどこかに行っていて、目の前には顔を赤くしながらも笑うリンの姿があった。
よかった、笑ってくれて。
部下に心配かけるなんて、俺は上司として失格だ。リンは特に心配症だから、気を付けないとな。
そんな風に思いながら、俺は笑った。リンの心配を全て断ち切れるように。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ラストバレット。1-6

閲覧数:72

投稿日:2014/08/12 23:58:02

文字数:4,297文字

カテゴリ:小説

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