無数の色の毛糸で編まれた西南から輸入されたであろう絨毯を踏みしめる。質のいい毛糸が、キシキシと新雪を踏む時にも似た心地よい触感を足に伝える。光を頭上からもたらすシャンデリアは豪奢であると同時にいかに美しく光を広げるかを計算された精緻な造りをしている。
自身にあtがわれた部屋を見回して、初音は短くため息を吐いた。
ここは独房だ。
確かにここには美しい絨毯も、座り心地のよいソファーも、羽毛のベッドもある。壁にかけられているのはそれだけで家が買えるほどの絵画だし、本棚には多種にわたる本が並び、テーブルの上には喉を潤し味覚を楽しませるための果物もある。
だが、それでもここは独房だった。囚人を逃がさないための、囚人に自由を許さないための独房だった。
だからいくら初音がドアノブをガチャガチャと鳴らしたところで扉が開くことはなかったし、何より窓がなかった。外からもたらされるはずの日の光はここにはなかった。
更に言えば時計もないので初音には自分がここに連れてこられてどれくらいの時間が経ったのか正確にはわからなかった。それでも、おそらくはまだ五時間程度しか経ってはいないのではないかと予測はつくが。
「予測はしていたとはいえ、面倒な状況ですよね……」
再びため息。
別に窓が無いだとかドアが開かないなんて事は彼女にとってどうでもいいことだ。そんなもの彼女の力を持ってすれば何の障害にもなりはしない。
それでも、彼女はこの独房から出られない。今は出たくない、とか出るとまずい、なんてことではなくて単純に『出れない』。

この部屋の前まで、まるでアリの行列のようにぞろぞろと無数の衛士を引き連れながら連れてこられた初音はこの国の衛士に言われたのだ。
「ここから出ないでください」
と。

ハァ
三度目のため息は今までのよりも若干深い。過去の記憶に嫌気が差したのだろう。
「なんでこんなに面倒な制約があるんでしょうかね……、まぁ言っても詮無いことなんですど……」
そこまで呟いて、ふと初音は何かに気づいたかのようにあごを少し上げた。
「私らしくないですね。こんなことにブツブツ文句を言うなんて、確かに私らしくないですね」
その後も、独り言にしては随分と「はい」や「いいえ」の多い呟きをブツブツと繰り返した。





彼女が幼かった頃、彼女の世界にはいつだって灰色の靄がかかっているようだった。空も山も木も花も人も、彼女にはその灰色に覆われているように見えた。
それでも彼女の世界が鮮やかになる一瞬があった。

歌を歌っている時。

その時だけは、彼女の世界から灰色の靄が去ってくれた。一人で遊んでいる時、寝る時、あるいはお使いを言いつけられたとき、彼女は歌を歌った。喉を震わせ、心を震わせ、彼女は歌った。
木々が青々としているのは、空が澄んだ青になるのは、そのときだけだったから。
そんな彼女の世界に、しかししばらくして例外にあたる存在が現れた。少女の目の前に現れた彼女たちはいつだって途方もなく鮮やかだった。少女は彼女たちに興味を持ち、彼女たちもまた少女に興味を持った。あまりにも下らない偶然から巡り会った三人の少女たちはどうしようもなく仲良くなった。幼い頃を供に駆け、供に歌った。少女が夢を持ったのは彼女たちと出会ってからだった。二人と同じように、自分も見上げる高みへ登りたい。そう願った。
世界は鮮やかだった。
少女たちは成長し、同じ学園へと通い、供に青春を過ごした。
少女を灰色の世界から連れ出した彼女たち。一人の名はルカ。もう一人は――。





ハクは一人、自室で震えていた。
『この時』が来てしまったのだ。今までずっと来ないでほしいと願い続けた時が来てしまったのだ。同時にいつか来てほしいと願っていた『この時』が。
簡素な木の丸椅子に腰掛け、『この』時が来てしまった今に震えていた。
メイコと名乗った傭兵との出会いが『この時』が来ることを加速させたのだ。理由を挙げればきりはないのだが、何より、だからこそ、自分はあの傭兵が好きになれないのだ。大嫌いなのだ。だけれど、それでもなお『この時』は来なくてはいけなかったのだろう。これからどうなるにしろ『この時』が来なければきっと彼女は一生……。
そこまで考えを巡らせて、それを否定するように首を横に振った。
彼女を救う。彼女を支える。そう決意してここまでの道を進んできた。なのに、なのにッ!結局自分は何もできなかった。何も変えられなかった。この時が来なければ彼女は救われない。けれど救われればそれでおしまいだ。そこで終了、閉幕、死。
きっとこれから先一生救われずにいるのと、救われて終わるのだったら誰だって後者を選ぶだろう。
当然のことだ。
けれど自分はどちらも嫌なのだ。あるいは前者よりも後者の方が……。結局、全てを彼女のために捧げる、なんていってもそれはただのエゴなのだろう。自分のために彼女を幸せにしたい。だから彼女が幸せになっても自分が悲しんだのなら意味がない。吐き気がするほど偽善まみれだ。
それでも、たとえ彼女が救われるのだとしても、こんな終わり方は間違っているとハクの中の偽善は叫びつづける。なにもできなかったくせに。何一つ変えられなかったくせに。そんなのはおかしいと、間違っていると、図々しく叫びつづけているのだ。
彼女はハクのことを『恐がり』何て言ったけれど、そうではなくて、自分はどうしようもなくわがままなのだろう。
そう。わがままだから、わがままだからこそ、ハクは彼女を閉じ込めた。最早どうしようもないはずなのにどうにかして『この時』を先送りにしようとしている。
鬱々として、どうしようもなく灰色で、どうしようもなく緩慢で。
だから彼女は口ずさんだ。あの頃のように。

私の家はどこに行ったのだろう?
綺麗なお花を摘んで
かわいい小鳥を追って
いつの間にか深い森の中

通りがかった狐に尋ねたら
彼はこう言った
「そんなの自分で探すんだね」
木の上の梟に訊いたら
彼はこう言った
「私が知るはずないではないか」

私はなんだか悲しくて
でもそれ以上に寂しかったから歩き始めた

出くわした狼は笑って
私にこう言った
「私が家まで送ってあげよう」
頭上のカラスがけたましく
私にこう言った
「僕に、僕についておいで」

私はなんだか不寂しくて
でもそれ以上に恐ろしかったから逃げ出した

道をふさいでる熊に出会って
私はこう言った
「ここを通してはくれませんか?」
道をふさいでる熊は唸って
睨んでこう言った
「ここは通行禁止である」

私はなんだか恐ろしくて
でもそれ以上に恐ろしいことがあったから

言った

「それでも私はここを通りたいんです」

悲しくて
寂しくて
恐ろしくて

だから私は前に進むんだ

「……」
気づけば震えは止まっていた。
結局のところ自分は最初からこうするつもりだったのだろう。
そして、『この時』を変えに行くのだ。何もできなくても。何も変えられなくても。それでも行くのだ。
悲しくて、寂しくて、恐ろしくて、だから私は前に進むんだ。





「メイコさんと連絡は取れるのでしょうか……」
初音は未だ一人独房で呟いていた。
「あぁ、やっぱり流石のあの人も隠れるだけで精一杯、というかここには近づけないんですか」
何かの答えを待つように間を置いて、再び口を開く。
「まぁ、強行突破なら簡単にできるんでしょうけどね、でもそれじゃ意味がないです」
考え込むようにうつむいて、しばらく時間を過ごす。すると、誰かの言葉が聞こえたのかのようにフムと頷いた。
「なるほど、それが確かなら。彼にしてみれば別にそんなことをする必要もないですが、しない必要もないでしょうからね。端的にどうでもいいんでしょうね」
それでは少し準備をして、そう呟いた後、彼女を捕らえる牢獄の中に音が溢れた。そしてその後すぐ、開かないはずのドアから青髪の優男が部屋に入ってきた。
「やぁ」
「こんにちは」
親しい間柄のように挨拶して、それから男の方が言った。
「じゃあ、殺すね」
「いえ、その前に手伝って欲しい事があるんですよ」
男はまだ動かない。
「その後は好きにしていいですから、ほんの少しだけ手伝って欲しいんです」
男は動かない。まるで一歩踏み出した途端落とし穴に落ちるとでも思っているかのように動かない。
「別に大したことじゃないですよ。ただ、この国の王様を殺したいんです」
初音は無表情でそう言った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

歌姫の鎮魂歌6

いろんなキャラが好き勝手動いて、
いったい自分はどうすればいいのやら。

閲覧数:141

投稿日:2013/08/03 22:17:26

文字数:3,489文字

カテゴリ:小説

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