その日は、酷く寝覚めが悪かった。
延々とミクを傷付ける言葉ばかりを吐き捨て、何度も何度もミクを泣かせる夢を見ていたせいだ。
それは昨日の事で罪悪感を感じていた俺の心を苛んで、寝覚めは異常な程最悪だった。
頭を抱える様に思わず額に手をやる。
するとベタついた感触がして、いつの間にか冷や汗をかいていた事に気付いた。
昨夜の夢は自分が思っていた以上によほど堪えていたらしい。
俺はそんな自分に呆れる様にため息をついた。
するとそれに被せるようにコンコン、と小気味良い音を響かせて寝室のドアがノックされた。
俺は途端にピキン、と石になったかの様に身を堅くする。
この家で俺以外に住んでいる人間はアイツしか居ない。
そう、ミクしか……。
「マスター……起きてますか?」
ミクがドアの前で小さく言った。
俺は返事をしようか迷って………………やめた。
あれだけ傷付ける事を言った昨日の今日で、俺は一体どんな風にミクと接すれば良いんだ?
どの面提げてミクと会えば良い?
笑って会うか?
それとも怒って?
泣いたり申し訳なさそうにして会ったって、きっと更に空気を悪くするだけだ。
なんでもなかった様に接するなんて器用な事出来る訳もない。
俺はミクに会わせる顔なんてないんだから……。
そう思うと元から沈んでいた気分が更に沈む。
俺はふてくされて二度寝を決め込んだ。
もぞもぞと静かに布団に潜り込んで目を閉じた途端、ドアがガチャリと開く音がした。
俺はギクリとして身体を堅くし、目をギュッと瞑った。
キシキシとゆっくり床を鳴らして、誰かが近付く音がする。
もちろんミクだろう。
目を閉じてるから確かじゃないが、俺の顔が向いてる側へ気配が近付いてくる。
その気配はゆっくりと近付いてやがて止まると、俺の腰辺りに座った。
俺は内心それに驚いて、わざと声を上げて寝返りを打ち、ミクに背中を向ける様にした。
なんとなくミクに俺が起きているのを気付かれたくなかったからだ。
そうして俺は身動ぎもしないでジッとする。
暫く何もないまま時間が流れた。
すると唐突にミクがポツリと言った。
どうしてこんな事になったんだろう、と。
「……私は昨日マスターが言ったみたいに、最初は誰が私のマスターになっても良かったんです。
私を歌わせてくれるなら誰でも良いと思ってた。
けれど違った……あの時最初に私を見つけてくれたのがマスターだったから、
私は貴方をマスターに選んだんです」
ミクは俺に聞いて貰おうとして言ってる様ではなかった。
俺の側でただ独り言を言いたかったのだろう。
だからこそ、返事がないのに部屋に入ってきたのだろうから。
「マスター……私マスターに出会えて良かった……。
マスターと出会って、短い間だけど沢山想い出を作って……
二人で初めて一緒に曲を作って……私幸せでした」
ミクは一つずつ思い出す様に言った。
俺は閉じていた目を開いて、ジッと聞き入っていた。
「私……マスターが好きです。
色んな事を教えてくれて、優しくしてくれたマスターが大好きです。
だから……だから私……何も忘れたくない……」
泣き出しそうに震える声。
そして本来なら聞かれる筈のなかった哀しい告白。
俺は今すぐにでも起き出して、ミクを抱き締めて励ましたい衝動に駆られた。
頭を撫でて、泣くなって言ってやりたい。
けれど今この場でそれをするのはためらわれた。
ミクの独白は続く。
「マスター……私哀しいです。
バグなんかなかったら、私が普通の初音ミクだったなら、
こんな哀しい想いにならずにすんだのに……。
……忘れたくない……忘れたくないよマスター……!」
ミクはとうとう小さく泣き出した。
俺は一度起き上がりかけたが、けれど最後までミクを励ます事はしなかった。
いや、出来なかった。
あまりにも無力で意気地のない自分に歯がみする。
ミクを傷付けた事を気にし過ぎて、何も出来ない自分が許せなかった。
……こんなにもミクは俺を想ってくれてるのに、俺は何一つしてやる事が出来ない。
俺はただただ悔しくて、ギリギリと唇を噛んで拳を握った。
やがて暫くすると泣きやんだミクは立ち上がり、
またキシキシと床を鳴らしてそっと寝室から出て行った。
俺は自分の不甲斐なさに布団から起き上がると、枕を床に叩き付けて八つ当たった。
何度も枕を拾っては床に叩き付けを繰り返し、ようやく落ち着いた俺は枕を抱えて考えた。
もうすぐ記憶が無くなるというミクの為に、俺が出来る事はないだろうか?
技術的な事はサッパリなので、そういう方面での助けにはなれないだろう。
ならばそれ以外に俺が出来る事は……?
俺はそう思うと抱えていた枕を放り投げてパソコンに向かった。
電気の点いていない暗い部屋を、ぼんやりと光るディスプレイの明かりが照らす。
……俺がミクに出来る事。
技術や知識的な事が駄目なら、せめて想い出を作ってやれば良い。
忘れるのが勿体ないと思うくらい楽しい想い出を……
せめて最後の時まで幸せだったと思って貰える様に。
俺はミクに喜んで貰えそうなサイトを色々と見て回りながら、出掛ける準備を始めた。
歯を磨く為に寝室を出ると当然の様にリビングに出て、そこにはやはり当然の様にミクがいた。
ミクがハッ、として俺を見上げたが、俺はさっきの事もあって気まずさに無視してしまった。
ミクもやはり気まずそうに、そして無視された事に傷ついた表情をして俯いた。
それでも小さな声で話し掛けてきた。
「……マスター、何処か行くんですか……?」
それはきっと、決死の覚悟だったのだろう。
絞り出す様に震えた声でかけられた言葉は、不覚にも俺を動揺させた。
俺は明るい声で返事しようとしたが
「あぁ……ちょっとな」
失敗して予想外な程冷たい声で言ってしまった。
「そう……ですか……」
そう答えるミクの声はどこか怯えた雰囲気を纏っていた。
俺は苦々しい気持ちで洗面所に向かって、
この思いを払拭させようとするかの様に何度も顔を洗った。
そうして支度を済ませた俺は一旦寝室に戻って荷物を取り、
リビングを通って玄関へ向かう途中ミクを一瞥した。
「行ってくる。その……夕飯は作っててくれると嬉しい」
俯いて目も合わせないミクを見て、やはり申し訳なく思った俺はそう声を掛けた。
仲直りの言葉や謝罪の言葉を言うのはなんとなく難しく感じて、ややぶっきらぼうに言う。
するとミクは気まずそうに俺からそらしていた顔を上げて、俺を見た。
俺は照れくさいのとか、気まずい思いでそそくさと玄関へ向かう。
するとミクはその俺の後ろを追いかけて、少し大きな声で言った。
「私……私マスターの大好きな料理作って待ってますからっ!
だから……だから早く帰って来て下さいねマスター!」
俺は驚いて靴紐を結んでいた手を止めて後ろを振り返った。
するとそこには顔を赤らめたミクが胸元で両手を組んで立っていた。
俺は内心安堵して、それからまた靴紐に手を掛けた。
そうして俺は立ち上がると、ミクを振り返って言った。
「わかった。楽しみにして早く帰ってくる様にするよ」
その時俺は笑っていたに違いない。
実際ミクの言葉が嬉しくて仕方なかったのだから。
そんな俺の言葉にミクは嬉しそうに笑って
「はい、待ってます!いってらっしゃい、マスター」
なんて優しく送り出してくれた。
いってきますって家を出た時の俺の心は、
今朝の陰鬱さとは違い、なんとなく見上げた今日の青空の様に晴れ渡っていた
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