ネモフィラの季節が過ぎ去り、熱交換索の稼働率がピークを過ぎた頃。

「ミク、港まで花火を見に行かない?」

マスターから誘われた。

「はい! 行きます!!」

振り向きざまに二つ返事。

最優先オーダーとして、基底現実側(BR)イベントは外せない。

パーソナルアシスタント型ガイノイド・HTN-39として開発された私にとっては、マスターのサポートこそが第一任務だ。

「V/Tアクセスでは参加できない特殊なイベントですか?」

「いや、擬似同期もできるけど。せっかくの近場だし実際に行こうよ」

「了解です!」

コンマ数秒考えて、オウン・セントラルからお出かけ用の服装パターンを抽出。

「どれがいいですか?」

「そうだな、どれも似合うし迷う……ミクはどれがいい?」

宙に投影されたミニモデルのうち、21C前期ベースの黒ワンピースを明滅させる。

「おお、なかなか良いね。随分と古典的だけど」

「マスターは一言多いんですよ」

古びてしまったのは分かっている。でも、私が生まれた時代の衣装だ。

制式装面上にホロを展開する。

身体に美しく沿いながら程よく広がったシルエット。

襟元は控えめなV字ネックで、華奢な首元が際立つ趣向だ。

「じゃあ、行こうか」

「はい!」



**



エリアコードを調整する。

港付近の街路はすでに浴衣の人々で溢れていた。

「マスター、どこ見てるんですか」

私は、彼の視線の先を見逃さなかった。

「な、何でもないよ」

ふぅん。ああいう年上のお姉さんが好みなんだろうか。

すれ違いざまに、マスターが無意識に追った先の人物イメージ。

メモリーに登録しておく。

「今からでも、お好みに合わせて衣装は変えられますよ?」

きゅっとマスターの左腕を引き寄せる。

「やめてくれ」

提灯に照らされた、予測よりも真剣みが高い表情を検出する。

「僕は、ミクが選んだミク自身の在り方が好きなんだ」

また、マスターは自己判断を要求してくる。

彼の満足度を高める基準が、まだ良く把握できないでいる。

顔を伏せて悩みながら、マスターと腕を組んで歩くうちに、いつの間にか予約席に辿りついていた。

港湾が一望できるカフェテラス。

静音ドローンが慎まし気に出現し、注文した屋台料理を受け取る。

アナウンスメッセージが入った。



<トキワ特区へようこそ>


<あらゆるレイヤーから参加された皆様方を歓迎します>


<定刻通り、打ち上げを開始します>



**



誰もが声を潜めた静寂の一瞬。

小さな火花が、沖合から次々と尾を引いて天空へと舞い上がっていく。

頂点に達して、爆ぜる。

鮮やかな色彩と閃光が、宵闇を貫いて照らしあげ、大輪の華となる。

次いで衝撃と爆音が押し寄せてくる。

光の粒子は花束だけでなく、天に散る粉雪のように広がり、様々な形象を成していく。

私とマスターは、光と音が織りなす開闢の光景に立ち会っていた。

「利根川、大洗、鹿嶋、常総、那珂湊……かつて開催されていた花火大会群の再現だよ」

マスターは眩しく裂ける夜空を見ながら語る。

「数万発の記録映像から、これも数万回のVR実験を経て、実物を作り出したんだ」

「喪失間際の技術はAI保存され、花火師の末裔も長野の入所先からフルリモートで花火玉製作を支援してくれた」

「枯れた技術だけど、SRとしては世界にも類を見ない規模だろう。壮大な贅沢だよ」

連打される光の爆轟、尽きせぬ奔流に、私のログは飽和状態だった。

マスターと共に、眩暈のごとき狂騒を見守り続けていた。



**



<打ち上げは、予定通りすべて終了しました>


<御来場の皆様には、復帰酔いなどされぬよう重々ご注意を>


<ありがとうございました>


エリアコードが解除される。

夜空を見上げて歓声を放ち、街路を埋め尽くしていた人波は、嘘のように消え去っていた。

各種のリモート用移動端末が、暗闇の中でプログラム通りに整然と引き揚げていく。


基底現実(BR)で参加していたのは、マスターと私だけ。

生身で実地に来ていたのはマスターだけだ。

マスター専用の帰路が、微発光で浮かび上がる。

「凄かったなあ、ミク……帰ったらエディットで見直したいね」

私は、無意識領域で巻き起こった何とも言い知れない状態を知覚。

それをメモリーに記録した。

不安とも喜びとも取れない、このエモートを何と名付けたらよいのだろう。


私は、HTN-39。

21Cに生まれた、パーソナルアシスタント型ガイノイド。

初音ミクという概念を元に開発された、しがない機械にすぎない。


私は、あの花火のようになれるだろうか。

私は、あの花火を超えられるだろうか。


マスターに問いただす代わりに、彼の腕にぎゅっとしがみついた。

「ええ、マスター。夜も遅いですし、帰って休みましょう」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

青の歌姫 第3話 花火

ミクさん、16周年の誕生日おめでとう。
設定と同じ16歳になりましたね。

青の歌姫シリーズの続きを、去年に引き続き、ギリギリだけど投稿してお祝いにします。
今後もよろしくね。

そして、ワカバさん家のミクちゃんにもありがとう。
イメージとしては、ほぼ別物になってはいますが……
なにか問題があればご指摘ください。

閲覧数:81

投稿日:2023/08/31 23:09:51

文字数:2,056文字

カテゴリ:小説

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