両手いっぱいの紙袋を提げて次に向かったのはランジェリーショップだったが、流石にマスターは先程のPDAとカードを私に押し付けて店内に足を踏み入れる事さえしなかった。
私は何故か頬が緩むのを感じながらマスターに見送られて店内に入ったのだった。

気が付けば時刻は三時になろうとしていた。
休憩と昼食を兼ねてマスターがカフェに入ったが、そろそろ私もリンゲル剤の補給の時間だった。
この頃にはもう、私とマスターは街中を歩いていても注目を浴びる存在になっていた。
ピンクのスカートとお花の髪飾りをつけたドロイドが物珍しいのかも知れない。

カウンターでアイスコーヒーとBLTサンドを買ったマスターが私の前に座る。
私はマスターを見た。
マスターは少しだけ、誇らしげだった。

オープンテラスのカフェで向かい合った私とマスターは視線を交差させた。私が人間であったならこういうイベントは「デート」と言うのだったか。

……いけない。
また自律系にエラーが発生した。
今度はヘムリンゲル液の過供給エラーだ。顔面が火照るほどのリンゲル液が流れ込んでしまった。きっと私の顔は茹で上がったように真っ赤になっているに違いない。
マスターに笑われなければ良いのだが。
マスターは不思議そうに私を見た後、持っていたお冷(ひや)を私の前に置き、リンゲル剤をタブレットケースから取り出した。私は一つ会釈をしてリンゲル剤と水を一気に飲み干した。

マスターはその様子を見ながら『フクガニアッテル』とぎこちなく手話で語りかけてくれたが、先のやり取りで私が文字認識できることを思い出したのだろう。PDAを軽くタップして私に見せた。
『その服、なかなか可愛いじゃないか。似合っていると思うよ』
ああ、だめだ。
エラーが深刻化してしまった。本当に全くどうしたというのだろうか。
一度メーカーサポートに連絡してもらうようマスターに提案してみようかしら?

マスターはやっぱり不思議そうに私を見てサンドイッチを頬張る。
私はその様子を見ていた。マスターの一挙手一投足が私の最優先事項として記録されている。
それはきっとプログラムの所為。マスターユーザーを最優先事項とするようにプログラムされているからに過ぎないのだ。
私の総ての思考と行動はプログラムに支配されているのだから。

ふとマスターの口元にトマトがついているのに気づいた私は、ほんの無意識に指を伸ばしてそっと赤い雫(しずく)を拭い取り、その指を口に含んでしまった。これもプログラムの仕業なんだろうか? だとしたらプログラマーさんは筋金入りの美少女オタクさんに違いない。
マスターはかなり吃驚したようだったが、CVシリーズは口から入った異物については後で洗浄ができるよう設計されているので問題はない。
(旧モデルのMEIKOやKAITOにいろんな物を飲ませたり食べさせたりして壊すと言うケースが頻発したための処置らしい)

マスターは口元に手をやったりしながら落ち着かない様子だったが、私は何か間違えたのだろうか?
マスターは居心地悪そうに人差し指で鼻の頭をかいた。
感情モジュールは特に何も出力してはいないが、私はふと満たされた、この上ない幸福感に包まれたのだった。

カフェを出た後も買い物は続いた。
私に日用品はほとんど不要だが、それでも必要なものと言うのは色々あるものだ。
結局この日はマスターも私も両手一杯の荷物を抱えて帰ることになったが、帰りに食材を買って帰ることは忘れなかった。
私は食べることは出来ないが、介護用ドロイドとして一通り食事を作ることはできる。尤(もっと)も、レシピをダウンロードしてその通りに作ることしか出来ないから、美味しいものができるかどうかはわからないが、ドロイドの調理技術については近年とみに向上が見られているとの専らの評である。
マスターに食事を作るよう命じられた訳ではないが、この身を救って頂いたご恩と今日のお礼を考えれば毎日お世話差し上げても足りないくらいだ。

私は歩きながらネットに接続し、国民の統計によれば好まれるメニューのトップ3はカレー・ハンバーグ・ラーメンであり、この中でもカレーは最も失敗の少ないメニューだという書き込みを掲示板に見つけた。
先ずはこのカレーとやらから挑戦してみることにする。

CPUコンソールからマスターの自宅にある冷蔵庫内のデータベースにアクセスし、足りないものを検索する。
続いてカレーの作り方を調べてみたが、膨大な量がヒットしてしまった。最も簡単なものはパックライスをレンジで温めてレトルトを湯煎するだけと言うものから、難易度が高そうなものはスパイスを挽く所から始まっている。
一口にカレーと言ってもなかなか奥が深そうだ。
私はマスターの食料費からおおよその予算を割り出し、最大限手間のかかるレシピを選んだ。
コストと効率を最優先させるべき機械にあるまじき選択だと論理モジュールが異を唱えたが、私は黙殺した。

帰宅する頃には陽は傾き始めていたが、時計の針はそれ以上に進んでいた。
マスターがドアに近づくと電子錠は自動で上がり、私もマスターに続いて部屋に入った。玄関でマスターの靴と、買ったばかりの私の靴をそろえて並べ、私は何故か微笑む。
私はせっかくの服を汚さぬように部屋着に着替えて、ひよこさんが愛らしいPIYOPIYOエプロンをつけてカレー作りに入った。
男性の一人住まいといえばキッチンは大変な惨状になる……と言う通説を覆して、実に整ったキッチンだった。鍋やフライパンの類は適度に使われているので外食ばかりと言う訳でもなさそうだ。
調度は標準的な全電化キッチンで、小さいながらもビルトインオーブンがある。包丁の刃もよく研ぎ込まれていて、持ち主の細やかな為人(ひととなり)が透けて見えた。

――もしかしたら――

彼女さんがたまに来て調理しているのだろうか?
そうかもしれない。あまりにも綺麗過ぎる。
私はカレーで今から使う分以外の食材を袋から出して冷蔵庫にしまいながらそんなことを考えていた。
ピーラーで野菜の皮を剥き、まな板を出して野菜を乱切りにする。
だとしたら――
ちょっとつまらないな。
私は何故かバックグラウンドでそんなことを考えながら、もしかしたら何か痕跡があるかもしれないとキッチンをセンサーでスキャンするのだった。

すると急に包丁が止まった。鋭い衝撃が指先から上がってきた。
私は呆然と指先を眺めていた。紅いヘムリンゲル液が見る見る指先に珠を作って流れ出す。
えーと。
私は一体何をしてるんでしょう?

その様子に気づいたのかマスターがキッチンにやってきて私の指を見て更に吃驚したようだった。
そりゃそうだ。
料理中に指切るドジなドロイドなんて前代未聞だろう。
わたわたとマスターと二人で指先の応急処置に追われるのであった。

ライセンス

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存在理由 (5)

閲覧数:184

投稿日:2009/05/17 23:17:01

文字数:2,824文字

カテゴリ:小説

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