蛍光灯の破片を掻き集めながら、再び調整に使われた研究室を見回した。砕け散ったモニターやガラス、壊れたコンピューター、千切れた黒いケーブル。あらかたの片付けを終えてもなお、この部屋には、数人が取っ組み合いの争いをしたような痕跡が残っていた。ましてや、凶気に操られたアンドロイドと科学者が死闘を繰り広げた直後なら尚更、それは空気にさえも色濃く染み付いている。半日かけて一人で事故の後始末をしても、どれほど綺麗に片付けられても、あのモニター越しに見た三人の姿が、今もなお無意識に彷彿としてしまう。
 それは予想されていたエラーにより起こった事故。突然の緊急事態は、相方のアンドロイドと網走博士により最小限の被害に留められた。もし本社の者を部屋から退室させていなかったら、人数で押さえけることができたかもしれないが、二人の奮闘により彼女は一時昏睡状態に陥り、一応狂気からは開放された。しかし、解放され闇の中に放り出された彼女がそこから目覚められるかは定かではないが・・・・・・。
 それよりも問題なのは、アンドロイドの二人の今後の処遇だ。このような事故を起こしてしまっては、彼らがボーカロイドになる未来は完全に断たれたと言える。だが、人類が持てる技術の粋を集められた二人がそう簡単に廃棄処分になるとは考えにくい。その高い技術力の集結した存在はクリプトンの各分野にも、そして我々の分野でも大いに役立つだろう。いずれにせよ、ボーカロイドになるはずだった二人の未来が、これで一気に澱んでしまった。彼らを待っている未来といえば、そのままクリプトンに引き取られ記憶の書き換えを行われるか、それとも様々な実験に盥回しされるぐらいだろう。
 ふと昨夜ランスの放った言葉が脳裏を過ぎった。「本社と防衛省のご意向」、つまり彼女に例のプログラムを混入させたのは、単にランスの悪戯では無かったということだ。そうなれば、防衛省も二人を要求してくる可能性は大。軍に渡されればアンドロイド技術の研究用にやはり実験台になるか、或いは・・・・・・・。
 だが未来が澱んでしまったのはあの科学者二人も同じことだった。真実を告げられていない彼らは「事故」という偽装を完璧なものにするため、有りもしない責任を擦り付けられ、このプロジェクトから外されるのは当然、さらに重い処置が降る可能性がある。しかも、最も責任のあるランスには恐らくなんの処罰も与えられはしないだろう。あの事態が、本社が予め想定していた事態ならば。
 こうして何の罪もない彼らの未来は踏みにじられた。一方で事態を巻き起こした張本人は涼しい顔をし、私さえもどうなるかわからず、結局今後も不透明な状態で空虚にも時間だけが流れ続けていた。ボーカロイド計画の中断が濃厚となった今、私の処遇も本社か防衛省の判断に委ねられることとなった。いずれにせよ、今は上が下す命令を待つ他に術はないだろう。
ガラスの破片を全て掻き集めた私は、ゴミ箱を手に研究室を後にした。

 ◆◇◆◇◆◇

 深紅の瞳が光を浴び、輝きを取り戻した。
 「・・・・・・キク!」
 僕は緊張と恐怖を隠しきれないまま、彼女の名を呼よび、手を握った。キクが僕の言葉に反応して、静かに顔を僕に向ける。
 「ひろき・・・・・・。」
 「キク・・・・・・。」
 彼女は帰ってきた。顔色も良くなり、その手は人の温かさを取り戻している。彼女は悪夢から解放され、帰ってきたのだ。
「キク! ああ・・・・・・・よかった・・・・・・・!」
 横のタイトが瞳を潤わせ、看護用のベッドからキクを抱き上げた。キクも、もう一度触れることができたタイトの体温を、しかと味わうように強く抱きしめた。
 「たいと。きくどうしていたの? なんでこんなところにいるの? たいと、右の目がないよ?」
 キクの細い指が、包帯で覆われた右目の眼窩に触れた。その中には、既に何も無い。
 昨夜の出来事の一切を記憶に持たない彼女は、状況が理解できずにタイトに問い詰めたが、その問いかけに、タイトは言葉を詰まらせた。
 「気にしなくていいよ・・・・・・キクが無事なら、それだけで。」
と、僕が声を掛け頭を撫でてやると、キクは既にそんな疑問を抱いているような表情ではなかった。
 「よかった・・・・・・・本当に・・・・・・・。」
 抱擁する二人を見て安堵の声を漏らしていると、突然背後の扉が開かれ白衣の青年が現れた。
 「うわ、なになに? 正気に戻ってんのか?」
 ランス・ウォーヘッドは二人の姿を見るなり如何にも面倒くさそうな第一声を放った。それがスイッチになったのか、僕の脳内で何か刺激的な事が起こった。血管が切れるとか顔が真っ赤になるとか、そんなものではなく、脳髄に雷が叩きつけられたかのような感覚だった。
 「一体・・・・・・どういう意味で・・・・・・?!」
激震する意識が止めどなく注ぎ込まれる右手を握り締め、僕は声を震わせた。
 「いや、別に起きなくてもよかったのよ。この子達の処遇が決まったから。」
 「ど、どういう事なんです? この子達って、タイトも?!」
 あまりにも衝撃的過ぎる発言に、僕はイスから飛び上がりランスに詰め寄った。対してランスは、まるで煙たがるような反応を見せた。
 「ッ・・・・・・たく、そんな驚くことないでしょ。あんな事故が起こったもんだから、計画は当然中断、ボーカロイドの夢は露と消えて、この子達は二人まとめて、本社のご指示に従って別の部署に引き渡されんの。」
 「ど、どうなるんですか?! 具体的には!」
 「知らないよ。そこの赤いのはもう起き上がらない予定だったから、実験施設行きじゃないの。どちらにしろこっからはもうお払い箱だよ。」
 「そ、そんな・・・・・・。」
 もはや何も反論の言葉が、いや、反論をすることすら忘れて、僕はただ呆然としていた。
 事故が起こった。重大なミスによって、起こってはならない重大な事件が起こった。そんな事故を起こしたアンドロイドは、ボーカロイドにはなれない。夢は潰え、事件を起こしたありもしない罪を着せられ、得体のしれない場所に異動させられる。
 誰も間違ったことはしていなかった。
 必死にキクを取り押さえた僕とタイト。警備員を呼んでくれた大佐。今回の事件を本社に報告し、指示を仰いだランス。連帯責任として、重大な事故を起こした二人に相応の処置を命ずる本社。そして、何も知らないキク。全てが当然のように、合理的に動いていた。
 だが、できない。納得が。
 二人がこんな事になる必要も原因も無い。タイトは愛する人を正気に戻そうと、右目を犠牲にしてまでキクに取り付いた悪魔に立ち向かった。キクは、僕が調整用ベッドに寝るように言いつけたことを、何の疑問も、何の不満も持たず実行してくれた。誰も彼も、何一つ間違ってはいない。それなのに、何故この二人の輝かしい未来の萌芽が摘み取られなくてはならないのか。
 「ランスさん、二人はもう大丈夫です! キクも正気に戻りましたし、タイトの傷も――」
 「はぁーーー? あなた何言ってんですか。もう本社が指示を下したってさっき言いましたっけね? もういくらダダこねたって無理なもんは無理なんです。」
 「しかし・・・・・・!」
 続く言葉も考えず僕が言い返すと、ランスは呆れたように顔をしかめた。
 「おーい、もうコレとコレ連れてってよ!」
 ランスが背後の扉に声を掛けると、何処からとも無く数人の黒服姿の男たちが現れ、タイトの腕をつかみ、銀色に輝く金属の輪でつなぎ止めた。続いて力の入らないキクの体をワイヤーで縛り上げ、一人が方に担いだ。
 「ひろきぃー!!」
 「な、何を!?」
 一体何が起こったのか、状況を理解できず騒然とする二人。でも僕は、呆然としたままその場から一歩も踏み出すことすらできず、その姿を傍観することしかできなかった。
 「と、いうわけで博士。あなたにも二人をダメにした責任がありますから。本社からの指示を待ってください。」
 それだけ吐き捨てるように言葉を残し、ランスと黒服の男達が早々と部屋を去ろうとした瞬間、僕は無意識に彼の名を呼んでいた。
 「タイト!」
 彼が振り返り、僕を見据えた。左側に残された紫色の瞳を潤わせて。
 せめてもの情か、ランスが黒服の男たちを制止する。
 「キクを・・・・・・お願い。何があっても、護ってあげて・・・・・・。」
 「・・・・・・はい。」
 タイトが返事すると同時に、彼の背を黒服の男が押出して、彼らの姿は、扉の向こうの何処かへと、消え去ってしまった。 
 陶器ように白い部屋に取り残された僕は、何を思ったのか、まだキクの温もりが残るベッドにしがみつき、過去の記憶を思い出していた。
 目覚め、挨拶を交わしたこと。僕の名を呼んだこと。二人で絵を書き、本を読み、昼寝、散歩。僕達の幸せな記憶。
 まるでシャボン玉のように浮かび上がっては、フッ、と消え去り、またいつかの思い出が蘇り、消えていく。
 全てが消え去ったとき、僕の中には何も残されていなかった。
 記憶も、感情も、感覚も、心も、全てが僕の中から抜けだして、露と消えた、気がした。
 「っ・・・・・・キク! タイト! どうして、どうして・・・・・・こんな・・・・・・!!」
 涙だけを残した僕の背を、誰かの手が撫で下ろした。でも、誰であろうともはやそれどうでも良いことだった。
 ほんの数秒、ただ震える背に触れたのは、僕の知らない冷たい手のひらだった。
 
 ◆◇◆◇◆◇

 運命に抗うとはできない。待ち構えているものを、拒むことはできない。
 しかしそれよりも、受け入れ辿って行くことで、残酷な運命も道標となる。
 耐えてください、網走博士。まだ、終わってはいません。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Eye with you第二十話「露と消えゆ」

ちょっと今イラスト描いてるんです。
何って、私ですよ。私。

閲覧数:198

投稿日:2010/08/18 22:34:30

文字数:4,016文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました