注意書き
 これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
 カイトの従兄、アカイの視点で、外伝二十八【荒療治】の続きになります。
 従って、それまでの話を読んでから、読むことを推奨します。


 【その心の中に】


「で、相変わらずミス・ガーディアンは揺るがないわけ?」
 俺は手にした携帯に向かってそう尋ねた。電話口の向こうにいるのは、俺の従弟のカイト。俺とは同い年だけど、俺と違って大人しくて真面目な性格をしている。ついでに言うなら喧嘩は弱いし気も弱い。いい奴だけどね。
「あ……うん、まあね……」
 元気のない声で、カイトはそう答える。あーあ、相変わらず頼りにならない奴だ。ため息をつきつつ、あの子のことを考える。初めて会ったのは、いつだっけ? ……確か俺がまだ大学生の時だから、三年ぐらい前か。我ながらよくやるよ、と自分で自分を褒めてみる。その一方でカイトは……。
「お前はつきあってウハウハなのに?」
 そう言ったら黙ってしまった。まずい、嫌味になった。
「アカイ、そういう言い方は……」
「今のは俺が悪かったよ。言い過ぎた。……羨ましかったんだよ」
 電話口の向こうでカイトがため息をつくのが聞こえる。……悔しいが羨ましいのは本当だ。気がついたら、カイトには彼女ができていた。いや彼女ができることはいいんだ。俺が微妙に苛立ってしまうのは、カイトの彼女があのミス・ガーディアンだってこと。いつの間にそんなことになったんだか。
 つーかさあ……俺はカイトの従兄だぜ? 自分の彼氏の従兄で、彼氏だって人柄を保証してるはずなのに、どうしてあんなに意固地なんだ。カイトの将来が心配になってくる。
「ミス・ガーディアンは、なんだってあそこまで頑固なんだ?」
「僕もわからない。全然教えてくれないし」
 全く秘密主義だなあ……よほどカイトをたきつけてやろうかと思ったが、やめておこう。派手なトラブルにでもなったら、マイコ姉が怖い。マイコ姉という人は、普段は頼れる姉貴分でも、怒らせるととんでもなく怖いんだ。
 俺は「邪魔したな」と言って、カイトとの電話を切り上げた。


 それから数日が経過した金曜日。俺はマイコ姉の仕事場兼自宅の最寄駅で、時計を眺めながら考え事をしていた。ちょっとアクシデントがあって、思っていたのよりも遅い時間になってしまっている。多分もう、マイコ姉は仕事を切り上げてしまっているだろう。マイコ姉という人は、追い込みの時期以外は、割と仕事を定時で終わらせてしまう。どうやっているのかまでは知らないが。着る物、それも女の服がどうやってできていくのかなんて、俺の想像の範疇外だし。
「……帰るか」
 俺は改札に向かおうとした。と、ちょうどその時。視界に、見慣れた姿が入った。
「あ……」
 券売機で切符を買おうとしているのは、間違いない、あの子だ。マイコ姉のところで、採寸モデルをやってる子。未だに名前もわからない――ガードの固いマイコ姉とミス・ガーディアンが教えてくれないんだ――もんだから、俺は密かにウサギちゃんと呼んでいる。なんでかって? なんかよくわからないけど、あの子、ウサギを連想するんだよ。
 ラッキー。俺が一生懸命頑張っているから、きっと神様がご褒美をくれたんだ。今なら邪魔者はいない。俺は近寄って話しかけようとした。
「ねえ君、今一人?」
 残念ながら、これは俺じゃない。俺が話しかけようとしたまさにその時、脇から勝手に割って入った野郎だ。見たところ二十代半ばぐらいだろうか。言っちゃあなんだが、感じの悪そうな奴だ。
「……え?」
 ウサギちゃんはきょときょとと視線を動かして、困った表情で視線を伏せた。もごもごと何か言っている。多分「一人ですけど……」とでも言っているんだろう。
「良かったら一緒にお茶でもどう?」
「いえ……結構です」
 ウサギちゃんは切符を手に取って、歩き出そうとした。そんなウサギちゃんに野郎がつきまとっている。しつこい奴だな。
「いーじゃん、どこか遊びに行こうよ」
「あたし、これから帰るんです」
「君いくつ? もう親に叱られる年でもないでしょ。遊ぼうよ~」
 頭の悪そうな奴だな。ナンパ野郎は、ウサギちゃんの手首をつかんだ。あ、俺ですら触ったことないのに! なんでお前が触るんだよ。許せん。
 ムカついた俺は、割って入ると、ナンパ野郎の手をつかんでウサギちゃんから外した。
「何すんだ!」
「うるさい、嫌がられてることに気づけってんだよ!」
 思い切りドスを利かせた声でそう言って睨みながら、つかんだ手をねじあげてやる。……ロッククライミングやってるし、握力には自信があるんだ。
 相手の顔が引きつりだしたところで手を離してやると、向こうはビビりながら逃げて行った。ふっ、他愛もない。
「あ……あの、ありがとうございました……」
 ナンパ野郎が逃げて行ってしまうと、ウサギちゃんはそう言って、俺に頭を下げた。
「あ……うん」
 これは、滅多にない好機だ。それは間違いない。でもどうする? ここで「お茶でも」なんて言い出したら、さっきの奴と一緒ってことになってしまう。
 ウサギちゃんは困っているのか、俺の前で下を向きっぱなしだ。ずっと俺のことを避けまくっていたから、何を言えばいいのかわからないんだろう。……俺の方から何か言わないと。
「あの……名前、教えてくれよ」
 俺がそう言うと、ウサギちゃんが「え?」と言って、顔をあげた。
「……言ってませんでしたっけ?」
「聞いてない。マイコ姉も教えてくれてないし」
 どこまでガードが固いのか疑問なんだが、全く名前を教えてもらってない。ついでに言うと、カイトもこの子の名前は聞いてないようで、俺が訊いても「え? 知らない」とかいう返事だった。
「……あたしの名前は、ハクです。弱音ハク」
 とりあえず名前を聞き出すのには成功した。頭の中で、ファンファーレが鳴る。
「そっか。俺は始音アカイ」
「……知ってます」
 そりゃそうか。ウサギちゃん改め弱音ハクさんの前で、マイコ姉は普通に俺の名前呼んでたし。
「今日は、あの先輩は一緒じゃないんだ」
 見たところ、弱音は一人だった。あのガードの固い先輩だから、一緒に帰りそうなものなのに。
「あっちで別れたんです。先輩はバス、あたしは電車なので」
 そう言って、駅の入り口の方を弱音は指差した。ふーん、それでか。弱音が一人でいた理由はわかったけど、このままだと「それじゃあ」と帰られてしまう。滅多にない機会なんだから、何とかして話をしないと。
「ちょっと訊いていい?」
「何でしょうか?」
「マイコ姉、俺のこと、どう説明してるの?」
 結構前から疑問だったんだ。弱音はいつも俺を避けていたし、マイコ姉とミス・ガーディアンも、俺を弱音に近づけまいとしている。二人が俺のことをどう話したのか、それが引っかかるんだ。俺の目の前で、弱音が軽く首を傾げ、考え込む。
「えーと……確か、十一年下の従弟で、マイコ先生の弟のカイトさんと同い年で、お父さん同士が兄弟で……」
 ……普通の説明だ。警戒されるようなことじゃない。
「乱暴なところがあるけど単細胞。血気盛んですぐ火がつくけど、喉元過ぎると熱さを忘れてくれるから扱いやすいとか言ってたような……」
 マイコ姉……なんてこと言うんだっ! 思い当たる節が大量にあるから、余計面白くないぞ。
 俺がむっとしたのに気づいたのか、弱音は俺の目の前ですまなそうな表情になった。
「す、すいません……言う必要なかったですね、今の。あ、でも! マイコ先生言ってましたよ。基本的にはいい人だって」
 何なんだろうね、基本的にはいい人って。まあいいや。この件で追求すべきなのは、弱音じゃなくてマイコ姉だ。
「じゃ、警戒しなくていいとは言ってるんだ?」
「まあ、それは……そうですけど……」
 弱音は視線を伏せ、ぼそぼそとそう答えた。ということは、俺を避けていたのはこの子一人の判断で、マイコ姉とミス・ガーディアンはあわせていたということか。……なんかショックだ。俺はそんなに危険人物に見えたんだろうか。
「俺って、そんなに危ない奴に見えるの?」
 まあそりゃ、俺は口のいい方じゃないし、男所帯で育ったから女性の対処に慣れてるとは言い難い。でも、あそこまで避けられる理由にはならないような気が。
「アカイさんが危ないんじゃなくて……あたしがその、駄目というか……」
 引き続き、下を向いたままぼそぼそと弱音は喋った。例の男性恐怖症の話か。
「マイコ先生のところは女の人ばかりだから、いいんですけど……男の人と一緒にいるのは、やっぱり、ちょっと……」
 俺は突っ立ったまま、頭を掻いた。カイトから「相当深刻そう」とは聞かされていたけど、かなりのレベルのようだ。
「今も怖い?」
「怖いというか、苦手というか……」
 うーん、これは、どうにかしないといけない。
「もう少し話できる?」
「話って……何を……?」
 昔の失恋のこととか。一瞬そう思ってしまい、それを打ち消す。
「いやほら、いつまでもこんなじゃよくないだろ。この先ずっと男を避けるわけにもいかないだろうし。ちゃんと話せるように練習するとか! 俺ならいくらだって練習台になるし!」
 思わず口から出たものの、どう考えても下心のある台詞じゃねえか、これ。自分で少しうんざりする。
「俺、別にとって食ったりしないし。そんなことしないよ。マイコ姉に言われてるんだ。自分のところのスタッフが辞める原因作ったら、その時は地獄を見てもらうからって」
 これは嘘じゃない。この話をした時のマイコ姉は本気の目をしていた。まだガキだった頃に些細ないたずらをして、マイコ姉に強烈なお仕置きをくらった身としては、それを試す気になんてなれやしない。
「あ……えーと……」
 弱音はしばらくあれこれ考えていたけど、やがてこう言った。
「あの……あたし、お腹空いちゃったんですけど、どこかで一緒に何か食べます?」
 その提案に、俺が即座に頷いたのは言うまでもない。ラッキー! 神様は頑張ってる人間を見捨てないってのは、本当だったんだな。
「言っておきますけど、ご飯食べるだけですよ」
 ……わかってるよ。くどいようだけど、変なことをしたらマイコ姉が怖いんだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その二十九【その心の中に】前編

閲覧数:629

投稿日:2012/06/23 19:13:54

文字数:4,232文字

カテゴリ:小説

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