ルカはベッドに座って、窓の外を眺めていた。俺が入ってきたのに気がついて、こっちを向くが、何も言わない。
「ルカ、なんで電話の線を切ったりした」
ルカは答えなかった。俺は苛立ちを抑えこみ、言葉を続ける。
「電話が嫌というわけではないんだろう? 俺と話していた最中に、電話の線を切ったのはどうしてだ?」
ルカはまた、答えなかった。その表情を見る。……怒って無視しているのかと思ったが、少し違うようだ。だが……何なのだろう、これは?
「電話だけじゃない。ミカのこともある。ルカ、お前はどうしたいんだ」
「……私のせいじゃないわ」
ようやく、ルカはそれだけを言った。……だから、俺が訊きたいのはそういうことじゃない。
「誰のせいかなんて話はしていない。ルカがどうしたいのかを訊いているんだ」
ルカの瞳が、一瞬伏せられた。そして、次の瞬間。
「だから、私は悪くないの! 私のせいじゃない! 私が悪いんじゃない!」
部屋にルカの絶叫が響き渡った。俺が呆然とするぐらい、凄まじい声量だった。
「ル、ルカ? おい、どうしたんだ」
ルカは自分のせいじゃないと叫び続けている。俺はルカの肩に手を置いて、落ち着かせようとした。だがルカは俺の手を振り払ってしまう。
「旦那様、どうなさったんですか!?」
部屋の外で待機していた、お手伝いさんまで飛んできた。
「俺にもわからない、急に叫びだして……」
「私は悪くないの! 悪いのはあの子よ! あの子ばっかり!」
「奥様、落ち着いてください!」
お手伝いさんが声をかけるが、ルカはわかっていない様子だった。相変わらず「自分のせいではない」と叫び続けるだけで。
結局、手に負えなくなってしまった俺とお手伝いさんは、ルカを残して部屋を出た。ルカは追って来るようなこともせず、自分以外いなくなった部屋で叫び続けている。俺は、改めて背筋が寒くなるのを感じた。ルカは、一体どうしてしまったのだろうか。
「旦那様、どうしましょう?」
お手伝いさんに訊かれてしまった。俺はどうしたらいいのかを考える。ルカの様子は明らかにおかしい。こうなった以上、心療クリニックなどに診せるべきだろうか。
ふっと、以前スミさんから聞いたルカの実母の話が頭に浮かんだ。精神を病んでしまったという話。その手のものが遺伝するとは思いたくないが……。
いや待て。ルカの実母の場合は、夫の浮気という、かなりわかりやすい要因があった。だが俺は浮気などしていない。
「……なあ。ルカは、あんな風になってもおかしくないほど、ストレスを溜めていたのか?」
俺はお手伝いさんに訊いてみることにした。俺と違って、向こうは日中家にいる。俺の知らないルカのことを、知っているはずだ。
「あの……私にはわかりません。ですが奥様は、少々神経質すぎるのではないでしょうか。お嬢様のことにしても、あれくらいの年齢でしたら、多少のイタズラなんて当たり前だと思いますし……」
俺は深いため息をついて、椅子に座った。ルカの部屋からは、まだ叫ぶ声が聞こえてくる。
「それで旦那様、どうなさいますか」
「今日のところは、そっとしておくしかないだろう」
土曜日だ。精神科に連れていくにしても、おそらくやっていまい。ミカは、しばらくは義母に預かってもらうしかないだろう。そうだ、義母に連絡をしておかなければ。俺は携帯を取り出し、義母の番号にかけた。
「もしもし」
電話に出たのは、義母ではなかった。この声は、メイコさんだ。まだいるらしい。
「ガクトです。義母に一応連絡をと思って……」
「あ、少し待ってもらえますか。カエさん、今ちょっと取り込んでいるんです」
構わないと告げる。保留にされるかと思ったが、メイコさんはそのまま、電話口の向こうで沈黙していた。保留にするのを忘れているのだろうか。そう思った時。
「あの……ちょっといいですか?」
メイコさんが遠慮がちな声をあげた。思わず身構える。
「何ですか?」
「ルカさんはとは話はできたのですか?」
その問いを聞いた俺は、返事に詰まった。できた、できてないで言えば、できていない。何しろルカはあの調子だ。だが義母にならともかく、直接関係のないこの人に、そういう話をしたくはない。
「ああ、えーっと、その……」
「……できてないんですね?」
俺が口ごもっていると、メイコさんは確認するかのようにそう訊いてきた。仕方がないので、しぶしぶ肯定の答えを返す。
「できませんでした……」
電話の向こうで、メイコさんはまたしばらく沈黙した。何か考えているらしい。
「あの……私が口を挟む筋合いじゃないことはわかっています。でも、ルカさんとミカちゃんは、しばらく一緒にしない方がいいと思います」
言われたことに、俺は絶句した。確かに俺も、当分ルカとミカを一緒にはいさせられないと考えてはいた。だがどうして、彼女がそれを口にするのだろう。
「あなた、一体何を……」
「次はぬいぐるみだけで済むとは限りませんから」
メイコさんは、静かにそれだけを口にした。俺はまた絶句する羽目になる。次はぬいぐるみだけでは済まないかもしれない……。
「あ……カエさん。ガクトさんからです」
俺が考え込んでいる間に、義母が来たようだった。
「もしもし、ガクトさん? ルカはどうしています?」
俺は義母に、さっきのことを話した。ルカとは全く会話が成立せず、逆上されてしまったということだ。
「とにかく今日明日はなるべく刺激しないようにしておいて、月曜になったら病院に連れて行こうと思っています。それでお義母さん、とりあえずこちらの身の振り方が決まるまで、ミカを預かってもらえないでしょうか」
電話口の向こうで、義母は黙ってしまった。
「……ガクトさん。明日、私がそちらにうかがっても構いませんか?」
沈黙の後、義母はそんなことを訊いてきた。俺は少し驚いた。
「お義母さん?」
「ルカとはもうずいぶん、まともに話をしていませんし……ミカのことは、ハクに頼みますから」
ハクさんに頼んで、大丈夫なのだろうか。
「あの……大丈夫なんですか? ハクさん、さっきずいぶん荒れていましたが……」
「今はちょっと落ち着きました。ハク一人で不安というのなら、応援を頼みます」
応援……今日来ていた人たちのことだろうか。なんだか不安だ。
「大丈夫なんですか?」
「ええ」
義母にしては珍しく、きっぱりと断言してしまった。義母がこちらに来るといっても、半日ぐらいだろうし、それぐらいならぎりぎりなんとかなるか。
「わかりました……あ、ミカは? ミカはどうしてます?」
「さっきお昼寝から起きたので、ケーキでおやつにしました。大丈夫、喜んで食べていましたよ」
ミカのことを話す時、義母の声は先ほどよりも明るくなった。その事実に安堵を憶える。
「そうですか……わかりました。それでは明日に。お義母さん、ミカのことを頼みます」
俺は電話を切ると、ふうっと息を吐いた。思っていたよりも力が入ったようだ。それから、こっちをずっと心配そうに見ていたお手伝いさんに、事情を説明する。
「そうですか……旦那様、今日はどうするのですか?」
「今日のところはとりあえず、普通にしておくしかないだろう」
俺はルカの部屋を見た。叫び声は聞こえなくなり、今は静かになっている。だが、様子を見に行く気にはなれない。
「ルカはなるべく刺激しないようにしておいてくれ」
「わかりました。それでは、私は片付けをしてきます」
お手伝いさんは、台所に行ってしまった。俺は椅子に座ったまま、考え込む。
ルカとは、上手くいっていると思っていた。少なくとも、結婚してからのこの四年近く、俺は何の不満も感じていなかった。ルカはあまり自己主張をする方ではなかったし、物事は大体なんでも俺が決めてきたが、少なくとも、そういうことに不服そうにしているのを見たことはなかった。だからこのまま、家族が増えることはあっても、穏やかに時間が過ぎていくのだろうと思っていたのに……。
俺は初めて、自分がルカのことを全くわかっていなかったこと。しっかりした地盤の上に築かれていると思っていたものが、実は砂のようにもろいものであったことに気づかされた。何も理解していないのに、四年もの日々を過ごしていたことを思うと、何だか寒々としてくる。
これからどうしたらいいのだろう。マイコさんは、離婚するのかやり直すのか、どっちなのかと俺に訊いた。大きく考えれば、その二択になるのだが……。俺は一体、どうしたいんだ?
考えても、答えは見つかりそうにない。だが、見つけなくてはならない。ミカのためにも。
ロミオとシンデレラ 外伝その三十九【家族の定義】その五
すいません、今回ものすごく長くなりました。まさかファイルを五分割する羽目になるとは……。
そしてまだ続きます。結構な長丁場になると思います。でもまあ、それも仕方がないというか……。
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ご意見・ご感想
笑子
ご意見・ご感想
はじめまして、笑子といいます。
ずっとこの小説を追っかけていたのですが、最近ようやくピアプロのアカウントがとれたのでコメントさせていただきました。
これからも楽しみにしています。がんばってください。とはいえ、もう本編は完結していますが…
2012/09/22 18:40:32
目白皐月
初めまして、笑子さん。メッセージありがとうございます。
ずっと読んでくれたそうで、ありがとうございます。本編は完結していますが、この外伝はまだもうちょっと続きますので、読んでもらえると嬉しいです。
2012/09/23 00:06:34