第一章 ミルドガルド2010 パート11

 それから数時間後、リーンとハクリの二人はセントパウロ大学大講堂の中にその身体を収めることになった。セントパウロ大学大講堂は一度に数千人の学生を収容することが出来る、セントパウロ大学では最大の建築物である。ルネッサンス様式を真似た大講堂は、その造形美から観光地としても有名な箇所でもあり、大抵の旅行雑誌にその名を残す有名な講堂でもあった。その講堂の一つの座席に腰を落としたリーンは、入学式の為にと拵えたアフタヌーンドレスを身にまとい、ただ静かに学園長の言葉に耳を傾けていたのである。席次は学部ごとに分かれているから、学部が異なるハクリはリーンとは別の位置に着席をしているはずであった。だが、その姿を確認することは出来ない。大講堂のどこかに着席していることは間違いがないだろうが、新入生だけで五千名を越えると言われているセントパウロ大学の規模から考えると、一人の人間の姿を見つけることは非常な困難を伴うのである。その学園長の言葉を、なんとか眠らないように堪えながらも聴き終わったリーンはさて、次は誰が長話をするのだろうか、と考えてまるで身構えるように一つ息を吸い込んだ。リーンの席は大講堂の舞台から大分離れた場所に位置していたから、学園長の顔も良く確認することができなかったのである。だが、次に現れた人物の姿を見つけて、比較的前方に着席していた学生たちから驚愕とも感嘆とも言えぬどよめきが上がり始めたのである。一体誰だろう、とリーンは考え、その赤い髪を持つ、スタイルの良い女性の姿を視界に収めようと瞳を凝らした。あの姿、もしかして、とリーンは考え、僅かに息を飲んだ直後に、その赤髪の女性が登壇して、そして優しく、それでいて張りのある言葉を紡ぎ出した。
 「新入生の皆さん、はじめまして。セントパウロ大学法学部三年、メイと申します。」
 聞き覚えのある声。それは間違いなく、つい先日リーンと交錯した女性のものであった。その直後に、大講堂を揺るがす様な歓声が沸き起こる。リーンも、メイが二年前にセントパウロ大学に進学したという事実に対しては認識があった。だが、まさか入学式で演説が用意されているとは想像すらしていなかったのである。
 「改めまして、皆さん、ご入学おめでとうございます。」
 大講堂が鎮まるまでを十分に待ってから、メイはその形の良い唇を開いた。声だけで全員を魅了してしまうような響きを持たせている。メイが持つ天性の才能を垣間見た様な気分に陥り、リーンは無意識に小さな吐息を漏らしていた。
 「普段から私のことを応援してくれて、本当にありがとう。でも、私の本業は芸能人ではなくて、あくまで学生ですから、今日は一人の先輩として皆さんにお話ししたいと思います。」
 五千人を前にして、全く怯まぬ、ゆったりとした声色でメイはその場にいる全員に向かって語りかける。大講堂に静寂が戻り、新入生たちがメイの言葉に集中し始めている緊迫感が覆い始めた。
 「私が複数あった進路の中で、それでも大学進学を選択したのは理由があります。」
 メイはまるで、一人の人間に語りかけるような口調でそう告げた。
 「皆さんがご存じの通り、私の祖先はミルドガルド共和国初代大統領であるメイコです。その家柄から、私は幼少の頃から政治とは何か、国民が幸せになる方法は何か、と言うことを常に考えさせられる環境にありました。」
 国民、と告げた時、メイの口調が僅かに強くなったことをリーンは適確に感じ取った。それだけ、強い想いが込められているのだろうか、と考えながら、リーンはメイの次の言葉を待つ。
 「それに対して、今の私の実力はいかほどでしょうか。確かに剣術では世界一になった。皆さんのおかげで、芸能界でも成功することが出来た。だけど、私にはまだ、メイコに遠く及ばないと感じざるを得ませんでした。当時帝政の支配下に置かれていたミルドガルド帝国、世界史上でも最大規模の勢力と軍事力を誇った帝国に対して、民主主義の小さな光だけを頼りに立ちあがったメイコ。そしてその盟友とされるレン。」
 レン。その言葉が、リーンの耳に僅かな引っかかりを残した。夢の中に出て来た金髪蒼眼の、あたしに良く似た少年。革命の主導者であるレンはそと同一人物なのだろうか。
 「そして、その二人を中心に集った、革命軍の闘士たち。一体彼らは、果たしてどのような想いを込めて立ち上がったのだろう。私はそう考えて、一つの結論を出しました。それは即ち、どんなに絶望的な戦いを前にしても尚、民主主義という政治システムが最も国民を幸せに出来る政治システムだと言う確信を持っていたからだと。」
 そこでメイは一度言葉を区切り、理解を促すように新入生全員の姿を見渡した。反応はどうやら二通りに別れたらしい。流石、私達ではとても敵わない。メイの頭脳は私達とは違うようだという、諦めたような思考を持った生徒と、成程、確かにその通りだ、私達は民主主義の申し子として国家を導いていかなければならない、という肯定的な反応であった。その二つの思考回路の揺らぎが大講堂を僅かに揺らしているような感覚を覚えて、では一体あたしはどちら側の人間だろうか、とリーンは考えた。無為に危機感だけを煽るマスコミとも、無責任な発言を繰り返す政治家とも異なる。自分の意志で道を切り開くというスタンスを貫くメイの態度はリーンにとっては眩しく、少しだけ敵わないな、という思考回路に陥ってしまった以上、あたしも前者の、諦めたような生徒たちと同類なのかも知れないと考えて、少しだけ嫌な気分を味わうことになったのである。
 尤も、殆どの生徒がリーンと同じような感覚に陥っていたことは間違いの無い事実であっただろう。民主主義の旗を掲げて立ち上がったその当時と現代では、状況が多いに異なるのである。そもそも民主主義の申し子としてその名を歴史に残したアレクが提唱した、国王に対する抵抗権を端に発している市民革命は自らの権益から端を発したと言っても過言ではない。当時農民の、農地からの移動を固く禁じていたカイト皇帝と、広く自由な労働力を求めたブルジョワジーとの対立があって初めて戦争と言う形態を取ることが出来たのである。アレクが提唱し、レンが補完した国民の、国民による、国民の為の政治という民主主義の概念は即ち別の側面からみれば権益を求めたブルジョワジー達が革命の正当性を求める為の標語として使用されただけだと捕えることも出来るのだ。実際のレンを始めとした革命の闘士達は、ただ純粋に国民が最も幸せになる手法を求めていたことは間違いの無い事実であったのだが。実際に、アレクは数少ない書簡の中に、この様な文面を残している。
 『国民は理不尽な国家体制に対して異議を唱える権利、即ち抵抗権を持つ。だが、その異議を唱える為の制度が必要である。その制度として最も優れている政治体制が民主主義である。』
 黄の国の騎士として、自らの手で抵抗権を発動し、反乱を主導して黄の国を滅亡させたアレクではあったが、その後武力を持たない国民であっても平和的な手段で革命を発動させえる政治体制を求めていたとされる。その考察の結論が、この書簡でも表現されている通り、選挙と言う手段によって政治体制を容易に変更することが出来る、民主主義という答えであったのだ。だが、そのシステムに慣れてしまった国民達が、改めて民主主義と言う政治体制を強く求めているかというと、必ずしもそうではない。ただ、人は今の状態に慣れており、そして飽きていたのである。変化のない日常に。
 「ですから、私は彼らの思考に少しでも近づきたいと考え、大学進学を決意致しました。そして、今も学問に精を出す日々が続いています。学問は、私たちに様々なことを教えてくれます。それは単純な知識だけではありません。全て学問に、文系も理系も関係なく共通するものですが、学問は先人達が歩んで来た歴史そのものであり、深い教養でもあります。」
 その後、少しだけざわついた大講堂の空気をなだめる様に、メイはもうひと段階ゆったりとした、そして張りのある口調でそう告げた。続けて、悪戯っぽい笑みを見せると、こう述べる。
 「特に、自画自賛になりますが、セントパウロ大学の教授陣は非常にレベルが高い。」
 そこで、メイは大講堂の壁際に席を構えている、参列している教授陣に向かって軽いウィンクを演出して見せた。そのウィンクに、教授陣達が苦笑を漏らしたことが学生たちにも伝わって来る。再びメイの言葉に注視し始めた新入生たちをもう一度眺め渡してから、メイは力強くこう告げた。
 「ですから、ようやく大学生となって、少し羽目をはずして遊びたいという気持ちはよく理解出来ますが、本業である学問を忘れずに大学生活を過ごして欲しいと考えています。そしていつか、皆さんがこのセントパウロ大学を巣立つ時に、この大学で学んだことを多いに社会に対して還元して欲しいと考えています。まずは、この難易度の高い大学に入学できたことを誇りに思って下さい。そして学生生活の中で、その誇りを更に深めてください。期待しています。」
 そこまで述べて、メイは柔らかな、誰もが目をとめる様な優しい笑顔を見せると、演説を締めくくる言葉を短く告げた。
「手短でしたが、私の話は以上です。ご清聴、本当にありがとうございました。」
 直後に、割れんばかりの拍手。
 それは自然に起こった、メイに対する敬意を込めた拍手であった。大講堂に満遍なく響き渡る拍手の中、一部の学生たちは興奮して立ち上がると、舞台から片手を振りながら立ち去ってゆくメイに向かってブラボーの声を上げる。リーンもまた、何かに飲み込まれた様に一心不乱に、ただメイに向かって賞賛の拍手を送り続けた。あのメイが、あたしの先輩。そう考えただけで、どうしようもなく誇らしい気分を味わっていたのである。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説版 South North Story ⑫

みのり「第十二弾です!」
満「少し難しい文章になってしまったが、これからの作品のテーマにもなる部分なので堪えて欲しい。」
みのり「そうなの。レイジさん、実は大学は法学部を卒業しているのだけど・・。」
満「今の日本の状況に強い危機感を覚えている。昔、近い人間がこんなことを言っていたんだ。」
みのり「そう。こんなセリフ。『誰が首相になっても同じだから、独裁制でも政治は変わらないよね。』」
満「その言葉にレイジは酷い衝撃を受けたんだ。確実に日本は衆愚政治に陥りつつある。その後に待っているのは独裁だ、と考えている。」
みのり「せっかく、私達の先祖が血を流して勝ち取った民主主義の火を消す訳にはいかないと、強く考えているの。」
満「ということで、メイの演説に繋がるわけだ。」
みのり「他にも解説したいのだけど・・字数制限がw」
満「ということで続きは来週です。」
みのり「楽しみにしててね!来週はもう一人キャラクターを登場させる予定だよ☆それではまた来週♪」

閲覧数:303

投稿日:2010/07/04 22:39:06

文字数:4,068文字

カテゴリ:小説

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  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    お疲れ様です!メイのバックグラウンドに思いをめぐらせると楽しいです。この演説が生まれるまでに、彼女はいろいろあったのだろうな、と。……現実の世界史の中の民主主義も、よく発生したものだなぁと、世界史を見ながら気が遠くなりそうに思います。昔、人は生きるために群れから村へ、そしてクニから王政を作り出し、そして近代には自分達自身で自身の幸せを掴むために民主主義を選んだと思うと、時代の流れと制度の流れが、小説の中でもリアルの世界でも、今後どう流れていくのかどきどきしています。……なんて☆メイは思い切り語っていますが、これが彼女の本音か、新入生向けのアレンジなのかどうかも、ちょっと楽しみです♪

    2010/07/18 01:32:46

    • レイジ

      レイジ

      メイには俺が普段考えていることを思う存分に語って貰うつもりです☆
      事実民主主義を獲得するためにどの国も多くの血を流している訳で、その血の重さを現代に住む僕達は忘れるわけにはいかないと思うんです。
      こうして権力者に対して気を使うことなく自由に発言出来て、自由な創作活動出来るのも民主主義のおかげだぞ、と。
      だから東京都とか民主党とか、いい加減にしろと。
      折角手に入れた国民の自由を破棄させたがるのは即ち過去の人間に対する冒涜だと思うのです。

      ・・連休の朝からスミマセン^^;熱くなりすぎました。
      ただでさえ暑いのにwww
      では今後もおねがいします☆

      2010/07/18 10:53:20

  • 紗央

    紗央

    ご意見・ご感想

    メイさん、惚れました!(何
    レンもチラッと出てきましたね(*´∀`*)
    メイさんの考えに納得されられました^^*

    後書きも文章も考えさせられることが多くて色々と学びながら読んでます><
    あぁぁレイジさんが授業とか教えてくれたらわかりやすい気がする・・((

    次回に出て来るもう1人のキャラクター気になります(笑
    来週もがんばってください(^^♪

    2010/07/06 17:04:51

    • レイジ

      レイジ

      格好いいだろ、メイは♪
      格好いい大人の女性って感じに書いてみた☆

      授業か・・大学の時は後輩とかに良く教えてたな・・。
      今は仕事を部下とか同僚に教えたり・・。
      昔から人に教えるの好きなんだよね?。
      何か分からないことがあれが気楽にどうぞ☆
      できるだけ分かりやすく教えるよ♪(理系科目以外・・。。。)

      では次回、新キャラクターと合わせて楽しみにしてて☆
      いつもコメントありがと♪

      2010/07/06 22:58:29

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