UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」

 その10「初音ミクのボディー」

 翌日、テトは桃と車でやって来た。
 テッドの家は国道から脇に逸れ海に向かって降りる道の突き当たりにあった。
 道はテッドの家の前で行き止まりになっていて、ガードレールの向こうはちょっとした崖だった。
 テトが運転するやや大きめのワンボックス・カーは、ガードレールの手前からバックしてテッドの家の駐車場に入った。
 まず、テトが降りて、助手席のドアを開けると、昨日と同じ服装でサングラスをかけた桃が降りてきた。
 二人は、後ろのドアを開けて、車椅子に乗った少女を昇降デッキを使って下ろした。
 テトが呼鈴を鳴らして、桃が車椅子を押した。車椅子の少女は長い髪を揺らしながら何事かテトと言葉を交わしていた。振り向いたテトは笑顔で二言三言返していた。
 テッドがドアを開け顔を覗かせた。
「いらっしゃい」
 車椅子を押す桃が片手を上げて振った。
 車椅子の少女ははっきりとした口調で「お邪魔します」と言った。
 テッドは桃に右手をややぎこちなく上げて応え、車椅子の少女を見た。
 その少女の顔に見覚えはあったが、ミクではなかった。Tシャツにスウェットのパンツという、何も考えていないようなコーディネートがテッドには不思議だった。
 薄いTシャツに胸の大きさが強調されていて、テッドはドアノブに目を移して、掴んだ。
 テッドは玄関を広く開け、三人を招き入れた。
 テトが入り、桃の押す車椅子が続き、桃が入ったところでテトが玄関のドアを閉めた。
「え、と…」
 テッドは車椅子の少女に話しかけた。
「はじめまして…?」
 少女は口元に笑みを浮かべて、車椅子からスッと立ち上がった。
 長い髪の毛が腰に届きそうだった。
 その髪の毛をはずしながら、少女は正体を明かした。
「テッドさん、わたしです」
 鬘をとって現れた顔は、桃だった。
 桃は照れ隠しにイタズラっぽく笑った。
「え? じゃあ…」
 車椅子を押す桃に似た人物をテッドは指指した。
 テトはその人物の鬘を外した。
 現れたのは人間の皮膚とは異なる表面の持ち主だった。
 テトは外した鬘を紙袋に入れ、換わりに緑の髪のツインテールを被せ、サングラスもとった。
「ミク…」
「どう? びっくりした?」
 ドヤ顔のテトが少し癪に触ったが、テッドはひきつった笑顔で応えた。
「かなり」
「そう。よかった」
 なにもここまでしなくても、と思ったが、日頃から人を驚かせることが好きなテトの喜ぶ顔を見ると、テッドは納得した。
 テトは手に持っていたセカンドバックからテレビのリモコンを取り出した。
 リモコンのボタンをひとつ押すと、ミクは車椅子から手を離し、直立不動の体勢になった。
 桃はそそくさと車椅子をたたんだ。
 テトは別のボタンを押した。
 ミクはややぎこちない足取りで歩き出した。
 ミクが土間から一歩上がったとき、フローリングの床がみしっと音を立てた。
〔確か、二百キロ…〕
 テッドは床が抜けないことを祈りつつ、ドタドタと凡そ女の子らしくない歩き方に少し感動した。
「前にわたしが使っていた部屋、空いてる?」
「あ、ああ…」
 曖昧な返事だったが、テトは気にせず廊下の手前の部屋のドアを開けた。
 テトが初めてこの家に来てから四年間、テトはここから勤め先の百瀬研究所に通った。今では研究所の近くにアパートを借りて住んでいるという話だった。
 三人、いや二人と一体は、中に入るとドアを閉めた。
〔しかし、数え方というか、助数詞は、『体』でいいんだろうか〕
 ふいにドアが開いてテトが顔を出した。
「ん? なに、テト姉?」
「そっちこそ。覗きたいの? ぼうっと立ってるけど」
「い、いや…」
「じゃあ、レイコー、二つね」
「はいはい」
 テッドは回れ右をして台所に向かった。
 台所では、モニターの中でメイコだけでなくミクまでも興味津々で待っていた。
 その表情にテッドは苦笑した。
〔まあ、いいか〕
 その後の質問が予想できているが、テッドは黙ってヤカンを火にかけた。
「マスター」
 声をかけてきたのはメイコだった。
「はい」
 テッドはコーヒーポッドにフィルターを載せモニターに視線をやった。
「どう? 可愛かった?」
「マスター、胸はあった?」
 割り込むようにミクが声を被せてきた。
〔そこを気にするのか〕
 テッドはたまらずぷっと吹き出した。
「あーっ!! ひっどーい!」
 ミクの顔が茹でたタコのように真っ赤になった。
「あ、ごめん、ごめん。今度、新しい 服を用意するから、許して…」
 そう言って笑いを堪えるテッドにメイコが助け船を出した。
「女の子は胸の大きさじゃないって、いつも言ってるでしょう」
 案の定、ミクの矛先がメイコに変わった。
「メイコ姉さんはすでに持ってるから、そんなことが言えるのよ」
「はいはい」
 メイコはやさしくミクの頭をなでると、テッドに目を向けた。
「で、可愛かった?」
「うん、まあ」
 少し曖昧なニュアンスが伝わったのか、メイコは片眉を上げた。
「あら、気に入らなかったの?」
「そうじゃない。Tという女優に似ていたかも」
「じゃあ、なに?」
「いや、目の前の美人と比べるほどでもなかったな、と思ったのさ」
「あら、それって、誉め言葉?」
「それ以外に聴こえたのなら、俺の修行不足だな」
 それにミクが反応した。
「じゃあ、わたし、今よりブスになるんですか?」
 これには苦笑せざるを得なかった。
「ミク」
 テッドは少し余裕をもって応えることができた。
「前にも言ったけど、上手くいったら、ミクのリクエストも取り入れるから。顔だって、ミクが気に入るまで何度でも直してやるよ」
 画面の中でミクは目を輝かせて頷いた。
「だから、協力してくれよ」
 そこで、テッドは沸騰したヤカンの火を止めた。
 コーヒーを淹れ冷やした後、コップに注ぎかけたところで、廊下を歩く人影が見えた。
 テトに押されるようによちよちした足取りで、ミクが歩いているように見えた。そのミクがテッドの方を振り返った。
 テッドと視線が合った訳ではないが、ミクが首を振って前を向いて歩き出した、と見えた。
 その所作が自然で、仄かな色気を感じさせた。
 テッドは手を止め、廊下に顔を出した。
 そこで桃と鉢合わせになった。
 間近にお互いの顔があって、同時に声が出た。
「きゃ!」
「うわっ?」
 反射的に桃は飛び退いて廊下の壁に張り付いた。
 テッドは一歩引いただけで、桃が昨日と同じ服を着ていることに気付く余裕があった。
〔いや、待てよ。彼女、車椅子に座っていたとき、別の服を…〕
「き」
 一瞬、変なことを言って引かれるのが気になったが、言わずにはいられなかった。二人とも。
「着替えたんだ。さっきの似合ってたけど」とテッド。
「テトさんて、ホントにイタズラ好きですね」
 桃は最後に「ははっ」とひきつった笑顔を作った。
「テッド君、ちょっと」
 リビングからテトの呼ぶ声がした。
 それがテッドの中のスイッチを入れ、テッドは少しワクワクしながらリビングに入った。
 それはリビングの中央に、パッケージの画像そのままに立っていた。
 後ろ姿からでも判る、あまりにも有名なポージングにテッドは息を飲んだ。
 そして、ゆっくり前に回り込み、少しずつ明らかになっていく横顔を細かく鑑賞した。
 横顔はむせるタイプのミクモデルに近かった。それが正面から見るとあざといタイプの顔に近いと感じた。
 全体的に女優Tというより元アイドルのMに似ている気がした。
 衣装はデフォルトのままだった。というより、通販のコスプレ衣装をそのまま着せただけというのが正解だった。
 表情は完全にニュートラルで、無表情というほど冷たい印象はなかった。
 目や口などのパーツの大きさが人間に近く、特段デフォルメされたパーツがなかったので、遠目には人間と同じに見えそうな気がした。
「どう? ご感想は?」
 テッドの口はただぱくぱくと空気を食べているようだった。
 テトはやれやれと肩をすくめて、テッドの頭をぽかりと叩いた。
「こら」
 衝撃というほどでもないが、テッドは頭を押さえて振り向いた。
「どうよ?」
「え、と、その…」
「顔にしまりがなくなってるよ」
 慌てたようにテッドの両手が頬を二回叩いた。
 テトはその様子を見て溜め息を吐いた。
「まだ鼻の下が伸びてるよ」
 テッドは顔をしかめて表情を戻した。
「まあ」
 テトは笑顔を作りながら溜め息を吐いた。
「気に入ってもらえたようで、作った甲斐があったよ」
 テトは、「興奮するな」と言いたかったが、その言葉を呑み込んだ。
 テッドの目は、レアなカードを手に入れた、あるいは、自慢できるほど大きなクワガタ虫を捕まえた、小学生のように輝いていた。
 自然にテッドの手は時間の止まったミクの方へと伸びた。
 そこでテトは咳払いを一つ。
「テッド君、触ってもいいけど、女の子の前だから、品位を疑われることはしないでね」
 テッドははっと我に返って回りを見た。
 テレビの電源は切ってありウェブカメラのスイッチも入っていなかったので、少し安心したが、リビングの入り口に立っている桃の心配そうな表情が目に入った。
 コーヒーを淹れる途中だったのを思い出したテッドは、台所に戻った。
 すれ違った桃の視線がテッドの心を揺すった。その瞳に失望の色が浮かんでいたような気がした。
〔ま、いいや、なんでも〕
 それを気にするほど心臓の鼓動に余裕はなかった。
 台所に入るとすぐにカップにコーヒーを注いで、トレイの上にソーサーを置いた。フレッシュを冷蔵庫から出して、ソーサーにカップを載せると、そのフレッシュとスティックシュガーを載せた。黙々と修行僧のように、正確に、テッドは作業を進めた。
 そのテッドの背中にミクが声をかけた。
「マスター、どうでした?」
 その声にテッドは苦笑した。
〔まだ、いたのか〕
 肩越しに振り向くと、モニターの大部分をミクの上半身が占めていた。
 ミクの後ろではメイコが背中越しにテッドを見ていた。
「可愛いかった」
 それを聞いてミクは安堵の表情を見せた。一呼吸置いてミクは上目遣いになって聞いた。
「大きかった?」
「いや。でも、スタイルはよかったよ。モデルみたいだったなあ」
 ミクの上目遣いが変わらなかった。
〔来るのか? ギャルゲーにありがちな、『どっちが似合ってる?』みたいな質問が〕
 テッドの緊張が伝わったのか、ミクは笑顔を作って大きく頷いた。
「よかった。じゃあ、戻ります」
 ミクは画面の袖に消えていった。
 替わりにメイコが画面の中央に現れた。
「で、本当のところ、どうなの?」
 メイコの表情は真剣だった。こういう顔をしている時は真面目に答えないと大変なことになるのをテッドは知っていた。
「よくできていると思うよ。少し離れたところから見たら、普通に女の子が立っているように見えるんじゃないかな」
「表情は?」
「デモのダンス映像は大丈夫だったから、後は俺の腕次第だな」
 今度はメイコがほっとため息を吐いた。
 テッドがメイコに聞いた。
「ミクのことが心配なんだ」
「はしゃぎ方がハンパないのよ。外に出られたら、ここに行きたい、あそこに行きたいのオンパレードで、一瞬も休み無しなのよ」
 メイコはうんざりといった感じに肩をすくめた。
「責任重大だな」
 メイコの視線が冷たくなった。
「そうね。失敗したら、マスターじゃなくて『バトラー(執事)』って呼ぶことになるわよ」
〔うわ、格下げかよ〕
 少し引きぎみに、コーヒーを振り返ったテッドの背中にメイコが声をかけた。
「ねえ、マスター」
 テッドが両手でトレイを持って振り向くと、モニターの中でメイコは横を向いていた。
 やや不満げに口をちょんと尖らせ、ほんのり頬が紅潮していて、いつもと雰囲気が違うメイコがいた。
「ボディーがもらえるのが、ミクだけってことはないわよね?」
 ちらっとテッドを見てメイコはすぐにぷいと横を向いた。
〔今度は、ツンデレ・モードかよ〕
 テッドは口を真一文字に引き締め、抑揚を少なくして返事をした。
「予定リストに加えておくよ」
 モニターの中のメイコは背を向けたが口角が大きく上がっているのが見えた。
「そ、そう?」
 控えめな返事が返ってきた。
 テッドは笑いを堪えてリビングに向かった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

UV-WARS・ミク編#010「初音ミクのボディー」

構想だけは壮大な小説(もどき)の投稿を開始しました。
 シリーズ名を『UV-WARS』と言います。
 これは、「初音ミク」の物語。

 他に、「重音テト」「紫苑ヨワ」「歌幡メイジ」の物語があります。

 最近、「ボカロP」の物語も書き始めました。

 新年、あけましておめでとうございます。

閲覧数:46

投稿日:2018/01/12 20:25:51

文字数:5,153文字

カテゴリ:小説

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