私はずっと自分の運命に
流されるように生きてきた。
ううん、生きてきた…じゃない、
生かされてきたんだ。
それが当たり前だと思ってたし、
不満に思うこともなかった。
私を取り巻く世界は優しくて、
絹のローブのように包みこんでくれていたから。
だから疑問に思うことすら
思いつかなかったんだ―――。
『 』
それは言葉も無い歌だった。
二人から紡がれるハーモニーは、言葉は無くとも透明感に溢れ、心に直接響いてくる――そんな歌だった。
もちろん歌だけではない。
白を基調とした服に、月と同じ黄金の髪。柔らかな月の光が二人を照らし、その周りだけ白く光っているように見える。
それはまるで一枚の絵画のように、神秘的で見るものすべてが魅了される美しさを持っていた。
「――んー、やっぱりレンと歌う歌が大好き!」
「久々にオレもリンと歌えて楽しかったよ」
歌い終わった後、楽しそうにはしゃぐリンに、レンはどこか照れ臭そうにそう答えた。
その言葉にリンはさらに嬉しそうな笑顔を見せる。自分と同じ感覚を共有できたことへの気持ちの表れだ。
「あのさ、リン―――」
――――パチパチパチパチ。
レンが何か言おうとした瞬間、不意に拍手をする音が聞こえ、二人は同時に音の方へと視線を向ける。
と、そこには青い髪を持つ青年がいつの間にか立っていた。
「カイト! 戻ってたのね…!」
「ええ、ただいま戻りました…と言っても本当はもう少し前に戻っていましたけど」
柔和な笑顔でそう話すカイトに対し、リンは楽しげな微笑みを、レンは少し眉を潜め睨みつけている。
同じ顔で全く正反対の表情を浮かべる二人の違いは、そのままカイトに感じているそれぞれの印象といったところだ。
だが、真逆の対応をされた当の本人は気にする素振りも見せず、持っていた包みをリンへと差し出す。
「はい、ご所望のモノですよ」
「…買って来てくれたの?」
リンは目を輝かせ極上の笑みを浮かべると、差し出された包みをまるで宝物のように受け取る。
今最も欲しかったモノの一つがこの手の中にある。
そんな幸せを噛み締めるようにその包みをぎゅっと胸に抱きしめた。
「嬉しい!ありがとう、カイト!―――開けてもいい?」
「ええ、もちろん」
全身から嬉しさが溢れ出るかのようなリンと、それが当然のことのようにあっさりとした態度のカイトに、
一人蚊帳の外となったレンは憮然とした表情で二人のやり取りをただ見つめるしか出来なかった。
ゆっくりと細い紐がリンの手によって解かれると、現れたのは皮の表紙の一冊の書物だった。
最近のリンのお気に入りはヒトの書いた恋物語を読むことであった。
愛のために生きそして愛に殉じる物語は、リンにとって未知なる世界の一つを疑似体験しているようなものだ。
時には食事も忘れるほど、その物語の世界へ没頭することもあった。
「何かと思ったら――まだそんなヒトの低俗な本読んでたのか…」
「っ、低俗って何よ! まぁ…レンみたいなお子様にこの本のよさは分からないわよねー」
「分からなくて結構」
売り言葉に買い言葉とは、こういうことを言うのだろう。
二人の間に険悪な雰囲気が流れ始めると、それを阻止するかのようにカイトが「まぁまぁ…」と間に割って入った。
「ここで不協和音を出して仕方ないでしょう? 先程の歌の余韻が台無しですよ」
「!」
カイトの言葉にリンは反射的にレンの方へとまっすぐ顔を向けた。
確かに二人で紡いだあのハーモニーは、今自分の手の中にあるこの本よりも楽しい時間だった。
久しぶりに楽しく歌えたあの瞬間が色褪せてしまうのは望んでいることではない。
レンも同じように感じたのか、少し罰が悪そうな顔でこちらを見ていた。
「……ごめんなさい。ちょっと言い過ぎた…」
「いや、オレも…悪かった」
互いに非を詫びる言葉を口にすると、二人の間にあった負の感情がゆっくりと薄くなっていくのを、その場に居た誰もが感じ取っていた。
もしカイトがこの場に居なかったら、こんな風にすぐ穏やかな感情を取り戻すことはなかっただろう。
《……ありがとう》
レンには聞こえないように、リンはカイトに向かって声を出さずに口の動きだけでお礼の言葉を紡いだ。
そのリンの行動にカイトは何事も無かったかのような涼しげな微笑みで答える。
自分達よりも永く生きているカイトにとっては、こんな仲裁は慣れたものなのだろう。
それでもリンからすれば助かったことは事実で、それに対して礼を示すのは当然のことだった。
「あ、そういえば―――レン、下で貴方のことを呼んでましたよ」
「は?」
「つい歌に聞き惚れてしまって言うのが遅れてしまいました。申し訳ありません」
だが、詫びの言葉とは裏腹にカイトは全く悪びれた様子もない。
そんなカイトの態度にレンは一瞬言葉を失った。
「――っ、そういうことは早く言え!」
これ以上カイトに何を言っても無駄なことは過去の経験上分かっている。
カイトを睨みつけながら精一杯の文句を口にすると、レンは急ぎ足でドアへと向かっていった。
「ごめん、リン。また来るよ」
「うん、気にしないで。またね」
リンは慌しく部屋から出て行くレンの背中を見送りながら、心の中で同情した。
ふと同じようにレンを見送るカイトへと視線を移すと、カイトはどこか楽しげに微笑みを浮かべている。
「―――わざとでしょ?」
「なんのことです?」
(……やっぱり……)
微笑みを崩さずそう答えたカイトの表情と態度で、リンは自分の考えが当たっていることを確信した。
リンの見ている限りではあるが、カイトはレンをからかうようなことが多い。
実際からかう言動は全くしていないのだが、レンの反応を楽しんでいる態度が多々見えるのだ。
『わざとに決まっているわよ、リン…』
「メイちゃん!」
「メイコ……酷いな、わざとだなんて」
不意に頭の中で響く声が聞こえ、リンは反射的にその声の主の名を呼んだ。
カイトにもメイコの声は聞こえているようで、肩をすくめながら反論していた。
『あら、本当のことでしょう?』
メイコに一蹴され、カイトは軽くため息をつく。そんなやり取りに思わずリンは笑ってしまった。
これはいつもの会話、いつもの日常。
―――リンが最も愛してやまない時間の一つだった。
「メイちゃん、聞いててくれた? 私とレンの歌!」
『ええ、もちろんよ。――とても美しいハーモニーだったわ』
メイコの賛辞の声に、リンは双眸を細める。
元々メイコがまた聞いてみたいと言っていたのが切欠だったのだ。
その本人が喜んでくれたことが、何よりのご褒美といっても過言ではない。
けれど、メイコはリンの気持ちを代わりに言ってくれただけなのも分かっていた。
昔はよくレンと二人で歌を歌っていた。
それがいつの間にかその回数は徐々に減り、今では誘うことすら中々出来なくなっていた。
特に何があったわけではない。
それぞれの時間を過ごすことが多くなった――ただそれだけのこと。
「ありがとう、メイちゃん」
『ふふ、私こそありがとう――本当に良かったわ』
お互いの言葉に二重の意味が込められているのは、お互いが理解していた。
すべてを口にしなくても、互いの気持ちなど手を取るように分かる。
それが二人が積み上げてきた信頼の証であった。
「じゃあ、オレもそろそろ戻ります」
「あ、待って!途中まで一緒に私も行くわ」
リンは窓の外に見えた満月を思いながら、カイトと共にドアへと向かい始めた。
腕の中にはしっかりと先程カイトから受け取った本が抱き締められている。
新しい世界の話を受け取った身としては、部屋で読むよりももっと素晴らしいひと時があるのではないか、と考えたからだった。
『いってらっしゃい、リン』
「うん、いってきます!メイちゃん!」
「それじゃ、行きますか。――メイコもまた」
三者三様の言葉をそれぞれ口にしながら、ドアの閉まる音が聞こえた後、
残された部屋には静寂が包み込んでいた。
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続く
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