暗闇の住宅街の中、まるで灯台のようにそこだけ明かりのついた部屋の中。マスターは机に向かっていた。正確にはパソコンに。脇にはもうぬるくなってしまったお茶入りのマグカップに屑ばかりの残ったポテトチップスの袋。深夜の時間帯、不健康さ極まるこの部屋でマスター(18歳、自堕落女子高校生)は動画巡りにふけっていた。
私(開発コードmiki、ボーカロイド)は画面の隅っこでその様子を眺めつつ、盛大にあくびをした。一番最初は私の声をいじっていたのだが、何だかのらない、と大手動画サイトを巡り出してからはや二時間。もう今日も歌う事は無いだろう。
「マスター。夜は寝るものです」
欠伸まじりにそう言えば、あともう少し、と小学生みたいな事を言ってきた。
「まだ眠くないし」
駄々っ子みたいな事を言う。この人は前のマスターと違って本当に子供だなあと、意思とは関係ない感覚のところで比べてしまったり、する。
「マスター、明日起きれなくなりますよ。学校遅刻しますよ」
そう言うと、ようやくマスターは意識を私の言葉に向けたようで、ああ、とくぐもった声でため息をついた。
「学校。うぅ、ミキ、起こしてよ」
「やです。わたしだってゆっくり寝てたいもん」
「ミキのくせに生意気な」
ちっ、と舌うち一つして。マスターはじゃあこれで最後、とお気に入りのPの動画を流し始めた。
カウント4つ打ち鳴らすドラム。浮遊する、電気の通ったギターの音色。導かれてピアノが鳴りだす。鮮やかにきらめく黄金の砂丘。電子の風が砂を舞い上げて、きらきらと世界を夕暮れの色に染め上げる。掲げた御旗ひとつ味方にして、紅い声が進む。泣きだしそうなほどきれいなピアノが、旗を翻し、見上げた空は、綺麗な蒼。
高いところで鳴る孤独の音。ひとりきりの淋しさが、胸を軋ませるような、痛みが切なさが、心細さが一瞬、足を止めて。俯かせて。空に消えた白の残響は、けれど次の一歩を進ませる。ゆっくりと再び歩み始める足音。ひとりきり、それでも前へと進む紅く花咲く音色。
鮮やかな残像を残して、その音はゆっくりとゆっくりと消えていった。
「まじカミサマ」
そんな事を呟きながら、マスターはGJとコメントを残した。いつかこんな音を作れればいいなあ、なんて子供みたいに笑って言うから。それは私も同感で、画面のこっち側で小さくうなずいた。
マスターは女子高校生だ。
私を買った理由は好きな人が音楽をやっているからで、そんな理由だからか、単純にお小遣いが足りなかったせいか、正規品ではなく中古のセール品である私を買った。
だから今のマスターは私にとって二人目のマスターだ。
ずぼらで部屋も汚くて甘えてだらし無くて。どうしようもない子だと思う。
とかいって、ボカロの分際でそんな事を考えたらいけないかもしれないけど。ついつい、記憶の中に微かに残る前のマスターと比べてしまうのは、いけないことかもしれないけど。
マスターはもうすぐ高校を卒業する。卒業後は地元の大学に進学予定。大学が始まる前にミキで一曲作ってみたいんだけどな。なんて事を言っている割には動画巡りでたいてい作業時間は終了してしまっているけど。
このマスターと一体いつまで私はいられるだろう、と時々思ったりする。
大学が始まって、楽しい生活が始まって、私の事を忘れてしまって。そして気がついた頃にまた売られちゃうのかもしれないな。なんて事を、皮肉じゃなくて変な強がりでも無くて、本音で思ったりする。
ずっとおんなじ、なんてあり得ない事は既に知っているから。
Master番外 泣き虫ガールズ・1
マスターと銘打っていながら、番外編な気持ちです。
ばあちゃん出てこないし。
そんなわけで、番外編なミキさんの話です。
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