―Ostendo primo conditionem hominum extra societatem civilem (quam conditionem appellare liceat statum naturae) aliam non esse quam bellum omnium contra omnes; atque in eo bello jus esse omnibus in omnia.
(私がまず最初に示したことは、市民社会無き人間の状態(それは自然状態と呼ばれるべきかもしれないが)は「万人の万人に対する闘争」でしかなく、その闘争においては、万人が全てについての権利を有するということである)
イングランド哲学家 トマス・ボッブス
◆◇◆◇◆◇
自分とはなにか。己の心が中に投げ出された時、ふと脳裏にそんな言葉がよぎった。
自分は何のためにこの世に生を受けたのか、自分の使命とはなにか、役目とは、そしてその適切な終わり方は…と。
肩書きならある。名前もある。俺は今までこの双肩に課せられた任のために何度でも命を危険に晒した。任務のために肉体すらも半分捧げた。任は幾度と達成され俺は賞賛を得た。それで十分だったはずだ。
だが、そこまで見出せておきながら疑問が残った。俺はここで終わるべきなのかと。まだ果たしていない何かが残っているのではないかと。
<<聞こえ……しろ……!>>
それは刹那の思考だった。耳元から流れてくる誰かの声が、俺の意識を現世に呼び戻した。
上空三万フィート、密閉された空間、俺の呼吸音、けたたましい警告音の大合唱。そんな中で、誰かの声が微かに俺に触れたのだった。
<<今なら……お願い……して! 貴方はここで……いけない!>>
何人も必死で呼びかけてくる。だが俺は答えない。答えられない。
砕け散ったキャノピーの破片が、気管が完全に潰してしまっている。口での呼吸はもう無理だ。破片とアバラが体の中で臓器を切り刻んでいるのが分かる。心臓もやられている。にもかかわらず、生き残った機体のコンピューターと体内のナノマシンが既に死体同然となった俺の体にまだ生命を引き止めていた。だが死は確実に迫ってくる。背後から、ゆっくりと、空を泳ぐように。
俺の視界の真横に純白の物体が姿を現した。奴らは死神だ。そうとしか言いようがなかった。抗うことも許さず全てに等しく確実な死を与える死神。既に、仲間が死に、仲間が死に、仲間が死んだ。そしてまたあの声が聞こえる。
<<降伏し……!>>
降伏だと。何を言っているんだ。お前達は俺にも死を与えようとしているのではないか。
<<ギアダウン……ギアダウンだ!>>
何だと?
<<服従……のならギアダウンしろ! 助けてやる。約束する!!>>
<<……くして下さいっ! もう誰も……くない!!>>
もはや判断の余地も力も残されては居なかった。俺はコックピットの前にあるディスプレイに手を伸ばした。だが半分以上引き裂かれた液晶画面が使い物になるはずがなかった。脱力した手は次に脇にある黄色いレバーに触れた。最後の力を込めて、レバーを引っこ抜く。すると足元から腹に響き渡るような低いモーター音が鳴り響いた。
意識が遠のいていく。視界が消え失せ、聴覚も徐々に何処かへと遠ざかっていく。
<<……そう……それでいいのよ……>>
無線から女性の声が聞こえた。まるで女神のように神々しく落ち着いた声だった。もしかすると、これがお迎えという奴かもしれないな。次に目を覚ましたら、俺は天国にでもいるのだろうか。
◆◇◆◇◆◇
空を見るといつも思い出が浮かんでくる。郊外の帰り道を歩きながら夜空を見上げると、ふと何年か前の、昔のことを思い出した。
人が空を飛ぶなんて出来ない。でも空にはいつも誰かがいる。翼を持った人がいる。
あの星たちが輝く夜空の中には、今どんな人がいるんだろうか。
そう思いを馳せる私も、思い出の頃はそんな空の住民だった。
コメント1
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ご意見・ご感想
日枝学
ご意見・ご感想
読みました! 細かい描写が良いですね GJです!
2011/06/26 23:53:37
FOX2
こんばんは 日枝学様。ご拝読誠にありがとうございます。
実はこのお話、ただの短編ではなく、私が今まで続けてきたシリーズ小説の最終章のプロローグとなっております。
このプロローグから結構長いお話が始まっていきます。もしよろしければ、前シリーズ四作と合わせてご覧いただければ幸いです(あ、でも第一作は黒歴史…)。
2011/06/27 00:13:40