♪ いつもと同じ ドアの前でcheck
  とりあえずは hmm,all right

  時計外し 鏡を見る
  so 変わらない毎日の routine


散歩のようにゆっくりとした足取りで坂道を登りながら、1人の少女が歌を口ずさんでいた。
オレンジとイエローを基本にした、ノースリーブの上衣にミニスカートという快活な衣装。ウェーブがかった若葉色のショートヘアが、歩みに合わせて柔らかく踊っている。
心地よい風が吹き、歌声をさらって行く。その後を追うように、少女は振り返って坂の上から見える景色を見渡した。
目が覚めるような蒼穹の空が、遙か遙か彼方まで広がっている。その下には、陽光を浴びて白く輝く街並み。まるでそこに住まう人々の活気が、そのまま光となって街を彩っているかの様だ。
少女は眩しさに目を細め、うっすらと苦みの混じった微笑みを浮かべた。

「信じられないな……。この景色が、つい1週間前まで死にかけてたなんて」

1週間前、兄が歩いたという同じ坂の上から見る景色。その時は天変地異のような豪雨に、雷鳴まで轟いていたという。
こうして見ると、にわかには信じられない話だ。話に聞くハツネウィルスとは、それほどまでに凄まじいものなのか。
気を取り直して少女は前を向き、再び坂を登り始めた。
確かこのまましばらく坂を登って、左手に平べったい屋根の家が―――― あ、あった。
目指す家を見つけ、少女は立ち止まって満足げに息をついた。







ガチャリとドアを開け、ミクはリビングに足を踏み入れる。
一瞬、ソファーに座って新聞を読んでいる長身の青年の姿が見えたような気がした。

「やあ、おはようミク。今日もいい天気だよ」

―――― だけどそれは、ほんの一瞬の幻。
無人のリビングはひっそりと静まり返り、窓から差し込む光が、床に陽だまりを作っていた。
すぐ隣のキッチンに向かう。自分の足音が、やけに大きく耳に響く。
ミクは無言のまま冷蔵庫を開けて材料を取り出し、朝食の準備を始めた。今日の朝食は2人分だ。
1週間前のあの後、がくぽは方舟に報告しなければならないと、すぐに帰って行った。
姉弟たちはしばらくここに居ると言ってくれたのだが、昨日メイコが急にマスターからの呼び出しを受けて、帰って行った。さらに今朝早く、リンとレンのマスターも急に出張先から帰って来たとかで、念のため2人もいったん家に帰ることにした。
そういうわけで、今朝の朝食は2人分である。大人数の時は何とか気持ちをごまかせたが、こうなると嫌でも「1人分足りない」という事実を突き付けられる。
スクランブルエッグを作ろうと、フライパンを温める。油を敷いて卵を落とした所で、リビングのドアが開いてルカが入って来た。

「お姉ちゃん、おはよう」

ルカはためらいがちにチラリとこちらを振り返り、すぐに顔をそむける。
油がはねる音で聞こえなかったが、ボソボソと口が動いたのをミクは見逃していなかった。
返事をしてくれた。
それだけで、今は充分だった。

「朝ごはん、すぐにできるからね。簡単な奴で悪いけど」

ルカはもう返事をしなかった。ソファーに腰掛け、ボンヤリと外を見ている。
今日もまた、そうして1日を過ごすのだろうか。あの日の衝撃がルカの心に与えた傷は、想像以上なのかも知れない。
ルカのことも心配だが、もう1つ心配なことがあった。
マスターだ。
あれから1週間、ミクもルカも1度も呼び出されていない。それどころか、そもそもパソコンに電源が入った気配すら無い。
大丈夫なのだろうか。こちらからは確かめようがないので、心配ばかりが募る。
むろんミクとて決して平気なわけではない。正直に言えば、朝食なんて食べたくもないのだ。
だけど、お兄ちゃんに言われたから。「ごはんをしっかり食べなさい」って。
だから無理やりにでも作り、口の中に押し込んでいる。
でも、果たしてこんな空元気も、いつまで続けられるのか……。

ピンポーン♪

その時、玄関のチャイムが軽快な音を鳴らした。
誰だろう? リンちゃんとレン君は今朝出て行ったばかりだから、メイコお姉ちゃんが帰って来たのかな?
それはないか。お姉ちゃんなら勝手にズカズカ上がってくる筈だし。
ミクは火を止めて玄関に出る。

「はい、どちら様ですか?」

ドアを開けると、外に立っていたのは自分と同じ髪の色をした、ショートヘアの見知らぬ少女だった。
誰だろう?
ミクは訝しむが、反対に少女の方は、ミクの顔を見て嬉しそうに微笑んだ。

「こんにちは、初めまして。初音ミクさんですね、お会いできて光栄です」

両手を前で揃えて、ペコリと頭を下げてくる。
歳は自分と同じくらいだろうか? 活発な印象だが、目には利発そうな知性の光がある。

「突然押し掛けてきて申し訳ありません。私はGUMIと申します、先日は兄がお世話になりました」
「兄?」
「神威がくぽのことです」

がくぽさんの妹さん?
驚くミクに、少女―――― グミは、物腰柔らかく言葉を続けた。

「急なお話で申し訳ないのですが、初音ミクさん及び巡音ルカさん、ご両名をお迎えに上がりました。私と一緒に来てもらえないでしょうか。あなた方のプロデューサー様には、当局よりすでにご連絡を差し上げていますので、心配いりません」
「え……どこへ?」

グミは白い封筒を取り出す。
さらにその封筒を開け、中から硬質のカードを取り出した。何かの許可証らしく、大きな四角い朱印がプリントされている。
それをミクに差し出しながら、彼女は答えた。


「国際VI(バーチャルインストゥルメント)総合サポートサービスセンター・ボーカロイドセクション『Ark』……そうですね、日本では『方舟』と言った方が分かりやすいでしょうか」







まるで博物館のような、巨大でアーティスティックな白亜の建物。
絶え間なく出入りを繰り返す、スーツ姿の職員達の波。
そしてオリーブの葉をくわえた鳩のロゴマークが浮き彫りになった銘板に、『Ark』の彫刻。
ここが、方舟。
ささいなトラブルが存在の危機に直結しかねない、プログラム集合体というデリケートな存在であるボーカロイドにとって、世界最大にして最後の救済の砦。

「す、すごい……話に聞いたことはあるけど、なんかすごい所……」

その堂々たる佇まいを目前にして、ミクは初めて上京してきた田舎娘のように、目を丸くしてポカンとしていた。
しかしそんなミクとは対照的に、同行してきたルカはやるせない憂い顔で俯いた。

「でも、これだけ設備と人材を揃えても、けっきょくウィルス問題1つ解決できなかったのよ……」

グミはルカの呟きに苦笑で応え、2人を中へと案内する。
広々としたエントランスホールを抜け、エレベーターで数階上がり、多くの職員とすれ違いながら廊下を歩く。
やがて1つのドアの前にたどり着き、そこで立ち止まった。

「では、この部屋でお待ちください。私は準備がありますので、ここで」
「え? ちょっ」

言うが早いか、グミは行ってしまう。
廊下に取り残されたミクとルカは、どちらからともなく顔を見合わせた。

「とりあえず、ここで待てって言われたんだから、中で待ってようか」
「ええ。でも変ね、この辺りの部屋って、今まで何かに使われてたかしら……?」

どんな施設にも、あまり使用されない部屋、あまり人が近寄らない区画というものが存在する。
以前はよく方舟に出入りしていたルカだが、この辺りが何に使われていたのか、よく思い出せない様だった。
ともかく中で待っていようと、ドアノブに手をかけて押し開く。そこで2人は驚きに目を丸くした。

「お、来たわね」
「ミク姉ぇ。遅かったね」
「うす」

なんと部屋の中に、メイコとリン、そしてレンが居たのだ。
中は小ぢんまりとした会議室のような造りになっており、正面にスクリーン、その手前に長机が2つ縦に並べられている。姉弟達はその両サイドに座り、こちらに笑顔を向けていた。

「な、なんで……?」
「詳しい事は私たちも知らないの。説明はこれからされるみたい。とりあえず座ったら? そっちの隅にコーヒーもあるわよ」

メイコが肩をすくめ、部屋の隅に備え付けてあるコーヒーメーカーを指す。
ミクとルカは戸惑いながらも、言われた通り席に着いた。
話を聞けば、3人とも家に帰ると、それぞれのマスターからここへ行くように言われたらしい。

「あんた達は違ったの?」
「うん。私たちの所にはグミちゃんって娘が迎えに来て、ついてきただけなの。さっきまで一緒だったんだけど、何か準備があるとかで、どっか行っちゃった」
「グミ? 知らねえなぁ。聞いたこと無い名前だ」
「がくぽさんの妹さんだって言ってたよ」
「あの人に妹なんて居たの!?」

ここに来るまでの経緯を話し合っていると、また出入口のドアが開いた。

「む?」
「がくぽさん!」

タイミングの良いことに、入って来たのは正に話題に登っていた神威がくぽだった。
ミク達も驚いたが、向こうも驚いた様子で目を丸くしている。

「これは皆様方お揃いで……何事にござるか?」
「いや、それこっちのセリフなんだけど。私達もなんでここに呼び出されたのか分かんないのよ。あんたは何か聞いてないの?」
「拙者も先ほど、ここへ来るように言われたのみで……はてさて、これはどうしたことか」

なんだか雲行きが怪しい。
そう疑いを持つには充分な顔ぶれだった。ここに集まった面々に共通する事といったら、1週間前のカイトが消失した件の他に思い当たる節がない。あの事件の関係者を、わざわざ方舟に集めたのは何故なのか?
にわかに張り詰めた空気が室内に満ちる中、待つことしばし。やがて奥のドアが開き、2人の人物が入って来た。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイトとミクのお話15】 ~ 聖譚曲(オラトリオ)・前篇 ~

閲覧数:2,165

投稿日:2010/04/13 19:22:13

文字数:4,044文字

カテゴリ:小説

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