UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」

 その9「ミクの希望とヨットハーバー」

 沖のクルーザーはどこかに行って、青い海の水平線は夏特有の靄に隠れて、見えなくなっていた。
 ミクが話しかけるまで、テッドは自分がリビングにいることも忘れていた。
「マスター」
 テッドは、壁の時計を見て昼が近いことを知った。
〔もう、お昼か…〕
 テッドは、頭の中の予感と闘っていた。
 その予感とは、テトが、【初音ミクというロボットを造らせるために】テッドと十数年、一緒に過ごしてきた、という、予感というより推測だった。
 同時に、この先【一生、初音ミクと共に生きる】という予感もあった。
〔まあ、そりゃあ、そうだよな。もし、初音ミクの、ロボットのシステムの開発に成功したら、保守もおれの仕事になるんだよなあ〕
 まだ、引き受けたものの、成功するとは限らないし、保守も自分の仕事になるとは決まっていないが、想像するのは自由な気がした。
 テッドは、モニターの中のミクに話しかけた。
「ミクは、…」
 モニターの中のミクは少し俯いて上目使いにテッドを見ていた。
 その視線に恨めしそうな色と心配そうな色が混じり合っているのが分かって、テッドは言葉を変えた。
「ごめん。何かあった?」
 ミクの目付きが変わった。
「『ごめん』じゃ、ありません」
 少し頬を膨らませて、ミクは拗ねた振りで横を向いた。
「何回、マスターのことを呼んだか、分かってます?」
〔え、俺、そんなに気付いてなかったのか?〕
「ごめん。気付かなかった。何回だい?」
「もう、三回ですよ。三回も返事がありませんでした!」
 「なんだ、三回か」と思っても口に出してはいけない。口にしたら最後、一週間はミクと話せなくなる。
 テッドはそれを経験済みだった。
 それは、誤ってミクの衣装データを削除してしまった時のことだった。
 かなりお気に入りだったらしく、不注意のテッドを「薄情」だとか「所詮、わたしなんか…」としつこく責め続けた。
 勢い、「データのサルベージなんか数秒だ」とテッドが言うと、「わたしはデータの寄せ集めですか!?」と言い放って、ミクは暫く口を聞いてくれなくなった。
 テッドはそのまま三日間放置した。その結果、パソコンを再起動してもミクは話しをしなかった。
 四日目にセーフモードでパソコンを再起動し、ミクのログを解析し始めたところ、基になったMMDエージェントのシナリオが削除されていて、復旧に二日間を要した。
 見つけたシナリオの結末は、実にシンプルだった。
 ミクは、「ごめんなさい」の一言が聞きたかっただけだったのだ。
 それ以来、テッドはミクをに人格があるように対応し始めた。
「ごめんなさい」
 それを聞いてミクの表情が少し柔らかくなった。
「なんだか、思い詰めた顔をしてますけど、大丈夫ですか?」
「んーと」
 テッドはほんの少し考えて、言葉を繋いだ。
「ミクは、さっきのテト姉の話し、聞いてたかい?」
「いいえ。テトさんには席を外すように言われましたから」
「でも、廊下の集音マイクは切ってなかっただろ?」
「はい」
「何が聞こえた?」
「私に体を作ってくれるというお話でした」
「どう思う?」
「素敵なお話だと思います。だって、ずっとマスターの隣にいられるようになるんですもの」
 ミクは嬉しさと不安が入り混じった表情を見せた。
〔そうか〕
「エム・コマンド。デバッグ・フェーズ」
 テッドの呪文でミクの動作が固まった。
 ミクの体を隠すようにテキストオンリーのコンソール画面が現れた。
「チェックリスト。パラメーター。AZ」
 画面上に現在のミクを動かしていファイル名の一覧が表示された。
 現時点のミクの動作や表情の元になっているVMDファイルは、テッドが自作したものだった。
 使用した台詞の入ったMMDエージェントのシナリオは、半年前にインターネットからダウンロードしてきたものだった。
〔感情ギアは、喜怒哀楽の「喜」か。レベルは、不安を含んだ2か〕
 テッドはミクの動作が想定内であったことに少し安心した。
「ZA。エグジット、クイックリー」
 テッドの呪文で、コンソール画面は消え、ミクは一時停止を解除したビデオのように動き始めた。
「それでですね、…」
〔ああ、まだ続いてたのか〕
「マスターと一緒に買い物したいなあ、なんて…。恥ずかしい」
 両手が顔を覆うかのように見えた直前で、一瞬、ミクは掌を見て、頬に手を当てた。
 それを見て、「かわいい」と感じるのが正常な反応かどうかは解らないが、テッドの脳裏に百瀬桃の顔が浮かんだ。
〔引く、かな、彼女?〕
 なぜ桃の顔が浮かんだのかは解らないが、レンの頭を撫でた時の顔が忘れられなかった。ただ、どこか彼女が自分に似ている気がした
 テッドはミクの視線に気付いて頭の中をミクの開発に戻した。
 管理者権限でパラメーターを覗き見たのでやや後ろめたかった。
 ついテッドはミクの機嫌をとるようなことを言ってしまった。
「どこに行きたい? 服を買いに行くなら大きな街に行かないとね」
 ミクは首を横に振った。
「ん? 服じゃない?」
「マスター、わたし…」
 ミクは何か言いにくそうだった。
「何でも言ってみな。今すぐは実現できないかもしれないけど、いつか実現してみせるよ」
 ミクはうれしそうに頷いた。
「わたし、近くのスーパーで買い物したいんです。食材をいっぱい買って、マスターにわたしの手料理を食べてほしいんですけど、…」
 少し顔を伏せてミクの表情が解らなくなった。
 次に顔を上げたとき、ミクの目が涙目になっていた。
「だめですか?」
 ミクが少しだけ首を傾げた。

〔かわいい〕

 としか、言い様がなかった。

         〇

 とあるヨットハーバーに白いクルーザーが一艘、接舷した。
 クルーザーから降りたのは男が一人だけだった。パーカーを羽織り、ジーンズをはいてキャップをかぶりサングラスをかけ、両耳にヘッドホンを当てて、いかにもといった風情を醸し出していた。
 男は桟橋の杭にロープを巻き付けると陸に向かって歩き出した。
 その桟橋のたもとにテトが立っていた。
 男は気付いていない風にテトの横を通り過ぎようとした。
 その男の背中にテトは声を投げつけた。
「この痴漢」
 男はハッとなってヘッドホンを外し振り返った。
「何?」
 抗議というより、威圧感を含んだ声が返ってきた。
 それに怯むどころか、テトは顔を上げた近づけて言った。
「痴漢じゃなきゃ、出歯亀。覗き魔。盗聴魔。つまり、変態」
「何を、馬鹿馬鹿しい」
「海から盗聴とは考えたわね」
「何の証拠が…」
「ヘッドホンの先の携帯音楽プレイヤーに入ってるんでしょ? さっきの他愛もない会話が」
「何を根拠に…」
「警察、呼ぼうか。プライバシーの侵害で、現行犯逮捕してくれるよ。今なら、証拠もあるし」
「何が言いたい?」
「今、目の前で録音したデータを消去してくれたら、今回だけ、見逃してあげる」
「勝手にほざいてろ! こっちは急いでるんだ。邪魔するな!」
 男は百八十度ターンして、足早に立ち去ろうとした。
 その瞬間、テトは右手で指鉄砲の形を作ると、男の背中に向かって撃つ真似をした。
「ばーん。なんちゃって」
 テトが手を降ろすと、男は慌てたように内ポケットをさぐって小さな箱を取り出した。
 男はその箱を操作しながら、
「くそっ」
と、ぶつぶつ呟き始めた。
 その脇を今度は、テトが悠然と通り過ぎた。
「ま、待て」
 男の声にテトは反応しなかった。
「待てっつってんだろうが!」
 男はテトに追い縋るように、手を伸ばし肩を掴もうとした。
「あら、本物の痴漢になるつもり?」
 男の手は空を切った。
 するりとかわして、テトは意味深な笑顔を浮かべ振り向いた。
「何をした?!」
「さあ、何のことかしら…」
「…」
 男は突然走り出した。
 その姿が視界から消えるまでテトはじっと見送った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

UV-WARS・ミク編#009「ミクの希望とヨットハーバー」

構想だけは壮大な小説(もどき)の投稿を開始しました。
 シリーズ名を『UV-WARS』と言います。
 これは、「初音ミク」の物語。

 他に、「重音テト」「紫苑ヨワ」「歌幡メイジ」の物語があります。

 最近、「ボカロP」の物語も書き始めました。

 年末年始は何かと忙しいので、先に投稿してみました。
 皆さま、良いお年をお迎えください。

閲覧数:47

投稿日:2017/12/27 23:46:13

文字数:3,321文字

カテゴリ:小説

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