救われた者

 秋晴れの澄んだ空気を吸い込みながら、一人の女性が郊外にある霊園を歩いていた。今は時期ではないせいか、人通りは少なく閑散としている。
「もう十年か」
 世界の医学界屈指の権力者だった男の跡取りである少女が多大な犠牲の上に、大病によって脅かされていた命を長らえてからこれだけの時間が経った。
 その時少女であった彼女が事情を知ったのは、全て終わった後だった。
 『あの人』が何を考えて、その身を使って一つの命を救ったのかは永久に分からない。知りたい気もするし、知ったところでどうにもならない気もする。
 感謝するくらいしかできない。
 目当ての墓の前に立ち、持ってきた花を備え付けられていた花瓶に生ける。人に頼んでいるせいか、一年ぶりに来たというのにその墓石には汚れ一つ見受けられない。
「さて、今年も、かな?」
 腕時計に目をやって、軽く息をつく。毎年来て欲しいと伝えている相手には、九年連続ですっぽかされている。そこに悪意があるわけでもなく、ただ単純に二十代前半にして総合病院の院長と理事長を兼任している彼女すら凌駕するほど多忙なのだ。
 もちろん、全く他意が無いとも言い切れないが。
「来る気、無いのかなあ」
 病室で目覚めて何が起こったのかを知った時、言葉にしようのない感情で胸が一杯になって泣き叫んだ。どのくらいの間そうしていたのか分からないけれど、気が付いたら少女には付添人が居た。
 どんな事情があれ『彼』にとっても、否、少女と比べようもないくらいに辛かったはずなのに、『彼』は一粒の涙も零さなかった。
 薄情者と陰口を叩く病院関係者もいたけれど、少女には『彼』の静かな決意を何となく感じとる事ができた。
 手術後数年後、『彼』は医療機関の整っていない発展途上国に医療を提供する非営利組織に入り、今では各国を回ってたくさんの命を救っている。
「帰国できないのかな」
 それならそれで仕方が無い。そう思って踵を返すと、『彼』が水の満載したバケツを持って階段を上ってくるのが見えた。
「『サキ』」
 『彼』の名前を呼んだ。






 合計九回も約束を破り続けていたというのに、『従兄妹』はサキの登場に嬉しそうに手を振って迎えてくれた。しかし、その目には多少の非難がある気がした。
「久しぶり。今年は帰ってこられたんだね」
 墓の前に立ってバケツを降ろす。サキのラフな服装は一見するととても医者に見えないが、世界が知る偉大な医者である従兄妹の白衣は眩しいくらいに輝いている。
「厳しいね」
 嫌味も含まれている科白に苦笑いが漏れる。いくら非営利組織に入っていても、年に一日も帰国できないくらい過酷ではない。ましてや、彼女の病院からは他でもないサキの懇願によって多額の援助が出ている。
 本来ならば親戚として所属している組織のスポンサーとして、サキは何よりも先に優先して従兄妹のささやかな希望を叶えるべきだった。
「ごめん。毎年来なきゃならないとは思ってたんだけど、色々考え始めるとなかなか足が向かなかったんだ」
 素直に頭を下げると、従兄妹は僅か残っていた責める空気を霧散させた。
「寂しかったけれど、無理もないよね。でも、『自分の父親』の命日くらいはせめて顔見せてあげた方が良いよ」
「うん、今日来られたからもう大丈夫」
 あの時まで都合の良い道具程度にしか思っていなかった父は、これまた自分の都合で殺すつもりだった息子に己の心臓を移植させた。従兄妹に託して空洞になったはずのサキの胸では、父の心臓が拍動を続けている。
 サキの心臓は従兄妹に、そして父の心臓がサキのものになったわけだ。
 常識で考えれば不合理極まりない。そんな事をするなら始めから、自分の心臓で従兄妹を救えばよかったのだ。実際そうするつもりだったのだろうが、何らかの理由でそれをする気が起きなくなったのだろう。
 幼い時から息子を縛り付け、思うように動かなくなれば捨て去った男が何を考えたのか、サキには想像もできない。
 ただ一つ残った事実は、救うつもりが救われてしまったということ。
 だからサキは誰かを救うために医師免許を取得して、成人すると同時に発展途上国に飛び立った。
「ねえ、思い出した?」
 従兄妹の問いかけに首を横に振る。何を、とは訊かない。移植手術から目覚めてから、それについては何度も従兄妹に相談してきたからだ。
「多分、聞く前に僕は意識を失ったんだと思う」
 何度記憶を引っ張り出しても、父から最期に言われた言葉は思い出せなかった。最期の破片を思い出せなくて、だから墓前に立つことが途轍もなく悪いことのように感じていたのだ。酷く辛くて心残りだったけれど、今はもうそこまで気にしていない。
 頬に触れた手のぬくもりと、それ以前はいつ呼ばれたかも忘れた名前。
 この二つさえ覚えておけばそれでいいと、ようやく思えるようになった。
 だからこそ、今日この場に来ることができたのだ。
「ねえ、また戻っちゃうの?」
 不満が滲む声だった。以前から何度も、この病院で働かないかと誘われ続けているのだが、サキはそれを頑なに拒み続けている。
「二、三日したら戻るよ。あっちでは万年人不足だからね」
「本当に行っちゃうの? もうあの人のことをうるさく言う奴は居ないのに」
 ほんの一握りの医師達を除いて、十年前の事の顛末を知る者はいない。けれどサキの所為でこの病院の支配者であった父が死んだという朧気な情報は何処からか漏れていて、サキに対する風当たりは強かった。
 もっとも、サキがこの国を出たのはそんな理由ではないのだ。ただ証明したかった。自分が誰かの命を救う事ができるのだと。
 救われる誰かのためではなく、サキ自身のために。
 亜麻色の少女と父の犠牲が無駄ではなかったのだと、無理やりにでも思いこむために。
 この病院でも同じことができる。従兄妹はそう引きとめるが、この病院は医療に携わる者達にとっての聖地と言っても過言ではない。優秀な医者が勝手に集まってくる場所だ。
 サキがここに居なくても患者は救えるが、海の向こうの貧しい国々にはサキが居なければ失われていく命がたくさんある。
「誘ってもらえるのは、必要って言ってもらえるのは嬉しいんだけどね、やっぱり僕は身体が自由に動く内は今の組織を抜ける気は無いかな」
 何度目かも解らない断りに、従兄妹は頬を膨らませた。
「資金はバカスカ持って行くくせに、こっちの協力する気は無いの? 虫が良いね」
 鋭い指摘と視線に目を泳がせた。それを言われると返す言葉が無い。唸るくらいあった父の遺産はもちろんのこと、どうせ扱い道が無いならと運営と設備投資の邪魔にならない程度に、病院の利益は組織に回してもらっている。
「うん、それは悪いと思ってるんだけど、さ」
 上手い言い訳も思い付かない。しかしサキの困り果てた様子に満足したのか、従兄妹は呆れたようにもういいと会話を打ち切った。
「まあ、サキがそういうんなら良いけど。食事くらいは付き合ってよ。せっかく久しぶりに会えたんだからね」
 異論の無い提案に、サキは彼女の寛大さに感謝しつつ頷いた。
「もちろん、何処でも付き合うよ」
 わざとらしく頭を下げてから、お互い駐車場へと歩き始める。

『サキ、済まなかった。利得のために人を殺してきた私が、最期に息子を救えることに感謝する』

 背中に投げかけられたように感じた言葉に振り返る。そこには手術着の男が立っているなんて事も無く、ただ当たり前のようにさっきまで眺めていた墓石があるだけだ。
「サキ?」
 サキが立ち止まったことに気が付いて、従兄妹が不思議そうに呼ばれた。それでもしばらくは振り返ったままだったけれど、再び従兄妹に促されて足を前へと進めた。
「どうかしたの?」
 先を行っていた従兄妹に追いつくと訝しげに眺められる。
「いや、何でもない」
 気のせいだったかもしれないし、もしかすると亜麻色の少女のように奇跡を起こしてくれたのかもしれない。どうでも良かった。
 どうせ真実など誰にもわからないのだ。
 だから今の『空耳』を父の最期の言葉と信じればそれでいい。
 従兄妹と並んで歩きながら、サキは心から平凡な礼を祈った。

 助けてくれてありがとう。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【二次創作】サイノウサンプラー3

短いですが、このお話はこれで終了です。
書き終わってふと思いました。
私の書く小説、主人公はろくな親じゃありませんね@@;
なんでかなー……

閲覧数:235

投稿日:2011/05/31 14:11:40

文字数:3,402文字

カテゴリ:小説

  • コメント2

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  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

     今更ながら……お久しぶりです。
     原曲は全く知りませんでしたが、堪能させていただきました。むしろ読み終わってから原曲を聴きに動画へ飛びました。
     辛い経験をしても、サキが誰かを救いたいと思って行動している時点で、あの二人の犠牲は無駄ではないはずです。

    『文字数六千ちょっとのやるせなさ』の文を見た時、あるある! と一人頷いてました。

    2011/07/02 18:41:28

    • 星蛇

      星蛇

      まず返信大変遅くなったことをお詫び申し上げます。

      お久しぶりです!読んでくださってありがとうございます。楽しんで頂けたようでなによりです。

      亜麻色の少女もサキの父も、きっと今のサキの行動を喜んでくれていることと作者ながらに信じています。

      もうせっかく考えた文章をおじゃんにしても削ってやろうかと考えてしまいますよw
      結局できませんがw

      2011/07/04 06:21:43

  • 零奈@受験生につき更新低下・・・

    わーい、星蛇さんの新作だ!
    と、喜んで読破しました。
    お久しぶりです、零奈です。

    な、なんという素晴らしいものを・・・
    原曲の歌詞は1だけなのに、そこからこんな素晴らしいラストに持っていくとは!
    パパがしっかり名誉挽回してますね!

    悪ノ父親でもレンの両親が名誉挽回してましたし・・・
    ハウスフォード夫妻はちょっと置いといてw
    親って不器用なんでしょうかね?

    星蛇さんのオリジナルもしっかり楽しみにしてますよw

    2011/06/01 16:36:05

    • 星蛇

      星蛇

      感想ありがとうございます!
      本当にお久しぶりです。コメントはお話が終わってからと思いまだしていませんが、零奈さんの死神の話も読ませて頂いております。続き楽しみにしています。

      素晴らしいとまで言ってくださってありがとうございます。
      悲しい話は嫌いではありませんが、やはり誰かがどんな形でもいいから救われる話を書き続けられたらいいなー。

      ディーの女王話でしたら、父親編ではなく番外編ですね(笑)←細かくてすいません><;
      オリジナルでも、主人公?の親はかなり酷いことしています。
      別に私が親に虐待されてたとかではないんですがw

      オリジナル、話はできあがってるんですが、時間軸と人物関係が複雑過ぎてどうやって話にすればいいのか分からないというのが現状です@@;
      また、悪ノ話でキャラの性格やら関係やらを一部使ってしまっているので、読んでくださる人に飽きられないといいのですが(笑)
      とりあえず、気長に待ってくださると嬉しいです。

      2011/06/01 18:16:52

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