馥郁たる甘い香りを振り撒く、黄金の果実。
土の痩せた防砂林の中、人の世話さえ受ける事も無く、それでも撓わに丸い実を結んだ、枇杷の木。
ピンポン球よりも小さな果実は、見た目こそ店に並ぶそれより劣るとしても。
枝から摘み取って口に運んでみれば、それは十分に甘く柔らかく瑞々しいと感じられる。


「……霙人、もう良いぞ。そろそろ籠の中も一杯になる故にな」

ざらざらと、腕に抱えた籠に摘み入れられた枇杷の重みを確かめるように揺すって見て、頭上の枝を見上げた神威が声をかけた。

「…これが…さいご」

返る言葉は、折り重なる深緑の葉陰に隠れた梢の先から。
その声の主がいるのであろう枝の高みから、二つ、三つと、どれも鮮やかに熟れた枇杷の実が降って来て。
最後に、ひらりと真白な小鳥のように衣袖を翻して小さな影が舞い降りる。

「……うむ」

器用に、右手一つで投げ落とされた実を全て受け止めて籠に放り込み、そして残る左手でエイトの身体を捕まえると。
神威は満足げに笑みを浮かべた。

「良き色、良き香りよ。主殿にも、ご満足が頂けよう」

一つ、くるりと皮を剥いで囓り、別の一つを取ってエイトにも渡す。
小さなはずの枇杷の実も、エイトの手の中にあると、まるでメロンのように見えた。



 †††


「でも……こんなに…たくさんの、びわ……ほんとうに、よかったのですか……?」

『どうせ、放っておいてもカラスが食べるか地面に落ちて腐るだけだからな……』

そして、また枇杷の樹が増える。

最初の一本が、いつ頃どうやって根付いたか知らないが、私が幼かった頃は、少なくとも人の目に付くほどではなかった。
今では、ちょっとした枇杷の群生地へと成り果てつつある気配だ。
防砂林の本来の主役たるべき松の樹たちも、何となく所在無さげである。

『最近の子は、あまり野草だの木の実だのを取って食べたりはしないのかねぇ』

「ますたぁ、は……していたの…ですか」

『遊びの一種だよ。小さい子供には、案外に楽しかったりするんだ……そういうのって』

「野性児だったのだな」

『田舎だから』

会話の合間にも、収穫物が傷む前に処理をと籠に手を伸ばす。
綺麗に枇杷を洗って、皮を剥き、種を除き、種と果肉を隔てる薄皮も削り取って、残った可食部分を荒く刻む。
もともと可食部分の少ない枇杷なのに、実が小さいせいで、幾らも果肉が残らない。

面倒な割りには報われない作業だが……。


『……本当に量があるなぁ…』

「採れるだけ採って来いと言われたのでな」

「やっぱり……しょうひ、しきれないのでは……」

『いや、ジャムにするからね』

「じゃむ」

『大量に使っても幾らも出来ないんだよね』

籠に一杯使って、出来るのは市販のジャムの瓶に一本か二本という程度だろう。

「……これを全て…か?」

『生で食べたいなら、その分だけ別に避けて置くけれど』

「いや。そうではなく……手伝おう」

『助かるよ……じゃあ、皮剥き頼む。枇杷は意外と汚れるから手袋してね』

汚れるというか。
枇杷の皮や実に含まれるタンニンによって、爪から指先から黒く染まってしまう。
食べる分だけ剥く程度なら、どうという事も無いのだが……。
染まってしまえば、少々洗うくらいでは色が落ちてくれなくなるので、厄介だ。

「相分かった」

「ますたぁ…ぼく、は…?」

『エイト? エイトはねぇ……じゃあ、種を綺麗に洗って。洗ったら、しっかりと水気を拭いて天日に干すんだよ』

「はい、ますたぁ」

こくり、とエイトが頷く。
神威の方が、やや訝しげに首を傾げた。

「枇杷の種を洗って何にするのだ?」

『炒って食べる事も出来るけど……ホワイトリカーに漬けても良いかな……』

「酒か」

『お酒。まぁ、飲んだ事はないから美味いかどうか知らないけど……』

「…おもしろそう、です。ね…ますたぁ……つくって…みましょう……? ぼく、のんでみたいです」

『そうだな、飲んでみたいな』

「……酒飲み主従」

「そういう…がくさん、だって…」

『ウチは、皆総じてイケるクチだからなぁ』

以前に一度だけ、友人の家の鏡音が間違えてカクテルか何かを舐めてしまった時などは、ほんの僅かな量であっという間にダウンしていたような記憶があるが。
子供にアルコールを与えてはいけないという良い例だな。

……とか、何とか言っているうちに、枇杷の始末は済んで。


『後は……鍋を火にかけて…――』

鍋は、出来れば耐熱ガラスが良いと思う。
それほど神経質になる必要も無いが、条件によっては果物の酸で鍋が腐食する事がある。

『砂糖と……レモン、は…今回要らないかな……』

適度の酸味が入らないと、味の印象がボケて美味しいジャムにはならないらしい。
店売りの完熟した枇杷であれば、レモン汁は欠かせないだろうが、今回の様に採って来たものであれば、適当に青みを残した若い実を混ぜる手もある。

……まぁ、適当に味を見て調整すれば良い。

「……主殿よ。砂糖の残りが少ない様だが、これで足りるものか?」

『えっ? ……あぁ、新しいの下ろした方が良いな』

砂糖の必要量は、だいたい枇杷の重さの一割程度だったろうか。

「……かたまってます…がちがち…」

長く食品棚に積んでいたから仕方ないな。

『頑張って砕いてくれ』

煮溶かすのだから、さらさらである必要こそ無いとしても、さすがに大きな塊のままでは量の調整が難しい。

「……こんなもの、でしょうか…?」

『おぉ。ありがと』

砂糖は、一度に全て投入してしまうよりも、味のバランスを見ながら少しずつ追加して。
味が決まれば、とろみが出るまで……枇杷の場合はあまりとろみが出ない事もあるが――ひたすらに掻き交ぜながら煮込むだけだ。

作業としては単純極まりない。
しかし、絶えず掻き交ぜてやらないと焦げてしまいやすいし、結構な量の灰汁も浮くので丁寧に掬ってやる必要がある。
こう見えても、なかなか目が離せない作業であったりもするのだ。


「そろそろ、完成か?」

強く漂い出した枇杷の香に、神威が呟く。

『うん。食器棚にジャムの瓶が入ってるから出してくれないかな』

「これか」

最後に、ざっと鍋の中を掻き回してジャムの出来を確認してから、火を止めた。
一応、瓶の方も、蓋が錆びたり汚れが残っていない事を確かめて、慎重にジャムを瓶へと注いでいく。

「……さましたり…しないんですね…」

『まだ熱いうちに密閉するのが、長保ちするコツだからね』

ただし、急な温度差で瓶を割らないように。

本来であれば、滅菌の意味も含めて予め瓶を煮沸しておく方が良いのだが、面倒であると思えば、省略しても良いだろう。
何れにせよ火傷には十分に注意すべきだな。


『早速、食べてみるか?』

今回の出来高は、大瓶にたっぷり二本分と、少し鍋に余った。

「……そうだな。せっかく、手間暇をかけて作ったのだ…出来立てを頂いてこそ、甲斐もあったというものぞ」

「おいしそう……いい、におい…ですね…」

『じゃあ、まぁ、ちょうどおやつ時だからね……クラッカーとヨーグルトも用意するか。エイトはアイスの方が良い?』

「! あいすっ!」

……こういう反応は、KAITOなんだよな。


とりあえず、ジャムの仕上がりは予想通りの満足の行くものだった。
これで、また暫くは楽しむ事が出来そうだ。





†††

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

【KAITOの種】種と枇杷とジャムの作り方【蒔いてみた】

お久しぶりです。
今年は、どうやら例年よりも枇杷が熟すのが遅かった様子。

今回、唐突に神威さんが顔を出してますが……
彼の来歴についても、またそのうちに……書けるかなぁ…?


種の配布所こと本家様はこちらから↓

http://piapro.jp/t/K2xY





神威さんが来た日の話↓
http://piapro.jp/t/6U1w

第一話↓
http://piapro.jp/t/2dM5



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投稿日:2011/06/15 01:02:38

文字数:3,096文字

カテゴリ:小説

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