王宮は斜陽の内にあった。

窓から差し込む西日は目を眩ませるばかりに輝き、幾つもの広間や回廊に立ち並ぶ無数の柱、その表面に施された細かな彫刻のひとつひとつまでも照らしながら、その後ろに迫る終わりを暗示するかのような長く黒い影を作り上げている。
その最後の輝きのような眩さに怖れながら息を潜める人々、各々の思惑を持って暗がりを蠢く者たち、そうして、それらの最も高みに君臨する玉座の王女の白い頬さえも、全てが燃えているかのような、血塗れたかのような赤一色に染まっていた。

不吉を覚えるその色に染まっているのは、何も王宮ばかりではなかった。
一目、城下を見下ろせば、どこまでも見渡す限りの人の群れ。
暴動を起こした民が波となって王城を取り囲み、彼らの掲げる旗は残照よりもなお赤く、赫々と翻っている。
最後の戦いが迫っていることを、誰もが悟っていた。
権力の力を頼みに王城に残った僅かな家臣たちですら、寄せ集めの農民の集団など国軍の総力で持ってすればねじ伏せられると信じているものの、この嵐の前の不気味な静けさに万が一の身の振り方を思わずにはおれなかった。
城下に今なお続々と集まり続ける人々は、何かの時を待つようにその場に留まりながらその数を増やしている。
ただひとり、決して己の足元へと目を向けようとしない玉座の王女だけが、未だ事の成り行きを何も知らずにいた。





初まりは暴動とも呼べない、一夜にして踏み消してしまえるような騒ぎだった。
同時期に相次いだとはいえ、たかが小火騒ぎと気にも留められなかった弱弱しい反抗は、気がつけばそこらじゅうへ飛び火をし、それが更にひとつに結びついて燃え盛る炎となり、国中を覆い尽くそうとしていた。
民を扇動し、暴動を起こした主導者と見られる女が剣を手に名乗りを上げてからは、幾度となく国軍が捕らえようと試みたにも拘らず、寸でのところでいつも取り逃がし、それがまた天が彼女を守っているのだと噂を呼ぶ。
まるで、それこそが炎を呼んでいるかのような紅い鎧の駆け抜けた後には、群集は祭りのパレードよりも熱狂に満ちて、どこにもかしこにも革命軍の掲げる真紅の旗が翻っていた。それはまさしく、燎原の火というべき光景だった。
日増しに暴動のうねりは大きく勢いを増していき、・・・ある日、その燃え盛る炎に更なる油を注ぐ、決定的な事件が起きた。

――クリピアの王女による、シンセシスの国王暗殺と王妃誘拐。

人々を震撼させたその事件は、ちょうど両国のぶつかる戦の前線に程近い街の只中で、城下の様子を見回っていた王の変わり果てた亡骸と共に、その日、王妃が孤児の子供から贈られたという小さな花束が見つけられたという、衝撃的なものだった。
直接手を下した輩こそ捕っていないものの、その黒幕となる者が、敵対するクリピアの王女以外に誰があろう。シンセシスにはクリピアの他に目立って敵対する国もなく、また彼らのクリピアの侵攻への抵抗は予想以上に手強く、長引いていた。思うに任せない戦の運びに痺れを切らした王女が謀ったに違いなかった。
以前にもシンセシスの王妃はクリピアの国の者に命を狙われたことがあるという。ならば、それもやはり王女の差し金であったやもしれぬ。人々はそう噂した。

義憤に沸く国内はもとより、これに何よりも怒り嘆いたのはやはりシンセシスの民だった。
兵力で言うのなら圧倒的な有利を誇るにも拘らず、つかの間保たれていた安息の最中の、まるで人の心を欺くような白昼の凶行に、戦地の抵抗は一気に激しさを増した。
連れ去られた王妃の命を盾に取った脅しに、手出しを封じられた彼女の母国や周辺の国からも非難の声が上がっている。
噂を聞き及び、これ以上の非道は耐えられぬと、自ら国軍を離れて革命軍に下る兵士も少なくなかった。


「何よ、それ」

初めて耳にするそれらの報告に、玉座の王女は愕然としていた。

シンセシスの国王暗殺など、そんな命令は出していない。
まして、捕らえてもいない王妃の命を盾に、脅迫など出来るはずがない。
つい昨日まで、民の暴動は国軍が適切に対処に当たっており、シンセシスの制圧も順調で何の心配もないと聞かされていたのに、これは一体どういうことなのか。

国軍の一翼を預かり、国内の制圧を任されていた将校の一人が、もはや全軍を持って当たらなければ手に負えぬと、無礼を承知で玉座の間に飛び込んできた。その悲鳴のような訴えで、初めてリンは王宮の外の騒ぎを知ったのだ。
言葉を慎む余裕のない将校の奏上は、それまでの平穏な日常という虚飾に満ちた張りぼてを突き崩し、足元まで迫った崩壊を否応なくリンの目の前に突きつけた。

「一刻の猶予もございません!どうか全軍をもって、革命軍制圧にあたる勅命を」
「だ、駄目よ・・・」

リンはうろたえた声を上げた。

「だって、今、私が全軍を動かしたら、その噂を認めることと同じだわ。やってもいないことを認めるなんて」
「王女様!もはやそのようなことを問題にしている時ではないのです!どうか軍を・・・」
「私、私はやってないわ!そんな馬鹿げた噂なんて絶対に認めない・・・!少し調べれば本当のことなんて、すぐわかるでしょう!?そうよ、証拠を集めて、本当のことを公表しなさい!噂の出所は暴動の首謀者に決まってるわ・・・!」
「王女・・・!」
「黙りなさい!皆、下がって!命じられた通りのことをしなさい!」

居並ぶ家臣達へ声も荒く命じ、将校を含めて全ての人間を追い払うように下がらせる。

一人になっても、リンはしばらくの間、玉座に座って動かなかった。
のろのろと膝を抱えるように引き寄せ、小さく身を丸める。
すっかり人気の失せた玉座の間は静謐に満ちて、壮麗に美しい佇まいとそれを照らす穏やかな夕べの光は何の揺ぎも無く、ここには何の憂いもないと信じられそうなのに。
それが自分の心が望むまやかしに過ぎないと、リンにもわかっていた。
今、顔を上げて振り返ってみても、いつも片時も傍を離れなかった召使の少年の姿はそこにない。
数日前に突然その姿を消してから、彼女がどんなに手を尽くしても、その行方は杳として知れなかった。
どんな不吉な噂より、それが何よりリンの心を不安にしている。
暴動の噂に怯えてひとり逃げたのだろう、所詮は下賎の身さもしい心根よと、さも同情めいた口振りで擦り寄る者を手討ちにすれば、それ以上騒ぎ立てるものはいなくなった。けれど、自分の耳に入らないところでは誰もが、ついにあの召使も王女を見限ったのだと囁いているのを知っている。

「馬鹿げてるわ・・・」

そんなわけがない。
レンが自分を見捨てるなど、あり得るわけがない。
誰も、誰一人、何もわかっていないのだ。レンのことも、自分のことも。
彼らに何がわかるというのだろう。
血の繋がった父でさえ、異母兄たちでさえ、母とリンのことを、まるで顧みてはくれなかった。
女児など子の数に入らぬとばかりに打ち捨てられ、満足な愛情も、援助も、教育さえ与えられず。
ただ乳母とその子供たち・・・中でもリンと同じ日に生まれ、一緒に育ってきたレンだけが、数少ない絶対の味方だった。
誰からも忘れられたようなあの屋敷で、着るものにも食べるものにも不自由する中、身を寄せ合い、息を詰めるようにして共に生きてきたのだ。

先の見えない日々の中で、突然、望んでもいなかった玉座を差し出されて、それを受け入れたのは、誰のためでもなかった。
父のためでも、国のためでも、ましてや民のためなどでもなかった。
そこに存在しないもののように無視をされて、蔑ろにされて、利用されて、いつか雑草のように誰かの都合で踏み潰されていく位なら、いっそのこと自分が踏み潰す側になるため。それだけだった。
今まで自分がそうされてきたことを、今度は自分がやり返すだけのことだ。何が悪いというのだろう。
どうせ貴族とて民とて、誰かに支配されて生きるのは同じなのだ。もともとそのように生まれついたのだから。ただ、上に戴く支配者が、父の代わりに娘の自分になっだだけのこと。

それなのに。

抱えた膝に額を押し付けて、リンは唇を噛んだ。
一体、自分の知らないところで、何が起こっているのだろう。
今まで、リンが命じて、この国の力で出来ないことなどなかったのに。
制圧できない暴動。身に覚えのない暗殺。突然、姿を消した大切な少年。
ほんの少し外の声に耳を傾ければ、誰も彼もが、リンを悪鬼のように責め立てる声ばかり。

「うるさい・・・、みんな、うるさい!何もかも煩わしいことばかり!」

当り散らすように叫ぶ声がひどくか細く頼りない子供のようだと、少女自身は気付いているのか。
己に声にすら耳を塞ごうとした彼女は、その直前で小さく呼びかける声に顔を上げた。

「畏れながら、王女様・・・!」

本来なら、玉座の間など立ち入ることも許されない下働きの下女が、足元で怯えたように平伏していた。
無礼をとがめるより早く、下女は早口に囁いた。

「城外に、密かに面会を求める者が来ております・・・。お許しください、その方というのが・・・!」
密やかに続けられた名前を聞き、彼女は躊躇い、そして命じた。

「通しなさい」








正式の訪問でもなく、下女によって内密に城内へ通された青年を、リンは複雑な心境で迎えた。
青い髪に瞳、整った容姿は、そう時が経ったわけでもない記憶のそれと何ら変わりはない。
けれどその表情には、もはや、かつての笑顔の欠片もなかった。
彼はリンの目の前へ立つなり、一切の礼儀を無視して口を開いた。

「用件は既にお分かりのことだろう。私の要求はひとつだ。わが国の公女を返して頂こう。さもなくば、クリピアはシンセシスに続いて、ボカリアをも敵に回すだろう」
「ま・・・待って!」

挨拶のひとつもなく、いきなり有無を言わせない言葉を告げられて、リンは思わず玉座を降りて青年に駆け寄った。
傍に寄った少女を、青い瞳が冷ややかに見下ろす。
一度は自ら求婚した相手に、今は跪くことはおろか、目の高さをあわせることもしない。
この人も、あの噂を信じているのだ。
少なからぬ衝撃を受け、すぐにリンは目の前の青年へ自らの無実を強く訴えた。

「待ってよ。彼女の行方なんて知らないわ。その襲撃は私の国がしたことじゃない!」
「そちらから一方的に戦争を仕掛けておいて、今さら、そんな言い逃れが通用するとでも?」
「本当よ!私じゃない!」

煩そうに眉を潜めた青年が、少女の足元に何かを投げ捨てた。
それが小さなナイフだと気付き、目を凝らしたリンは息を呑んだ。
鈍い銀色に光るその刃先には、固まって黒くなった夥しい血痕が生々しくこびり付いていた。

「シンセシスの王を殺し、王妃をかどわかした下手人が現場に残したものだ。クリピア王家の紋章が入っている」
「嘘よ!そんなわけない!そんなの知らない!」

どんなに必死に否定し続けても、リンを見下ろす瞳は、ほんの少しも動かされる様子はない。
彼が彼女の言葉をこれっぽっちも信じていないのは明らかだった。
いつでも微笑を絶やさなかった姿からは想像もつかない、まるで別人のような冷淡な態度が、刃のように胸に突き刺さる。
痛みを感じた自分を、リンは心底、罵った。

馬鹿みたいだ。あれだけの仕打ちをされたくせに、まだ、どこかで期待していたのだ。こんな、ひどい男に・・・。

・・・死んでしまえばいいのに。

胸の中で呪う。

早く、今すぐ消えてくれれば良い。あの別れのときに、もう跡形もなく終わったと思ったのに。どうしていつまでも消えてくれないのだろう。
脆くて、傷つくばかりで、自分の気持ちさえ思い通りにならない恋心なんて、いらないのに。

ボロボロになって泣いている少女の心を、王女のプライドで覆い隠し、リンは吐き出すように叫んだ。

「あんな女、わざわざ人質になんてするものですか!もし、あの女がここにいるなら、今すぐに首をはねてやるわよ・・・きゃあッ!」

言い終わるより早く、首に刃を突きつけられて、短い悲鳴が上がる。
繰り出されたのは、青年が腰に佩いていた長剣だった。一見飾りめいて見えるそれでも、床に転がる小さなナイフなどより、よほど殺傷力は高い。
ぴたりと狙いを定めた、頚動脈の真上。
皮膚を切る寸前で止められたとはいえ、あまりに躊躇いのなかった勢いに青ざめた少女を見下ろし、彼はその視線をどこか別の場所へ向けた。

「今の暴言は聞かなかったことにしてあげよう。それに話どころではなくなりそうだ」
「え?」

あっけなく引かれた刃に安堵の息を漏らしたリンの耳に、遠い・・・けれど激しいものだとわかる物音が聞こえてきた。
足元から伝わってくる地鳴りのような怒号、何かをひっくり返したような高い金属音に悲鳴、そして剣戟のような響き。

「な、なに!?」

尋常でない騒ぎに狼狽した声を上げれば、青年はさしたる興味もなさそうに少女へと告げた。

「どうやら革命軍が攻め上ってきたらしいな。逃げるなり、制圧するなりお好きにどうぞ」



ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第24話】前編

第24話前編、・・・です。
・・・うん、はい、あの・・・・。
お兄様ファンとリンちゃんファンのどちらにもごめんなさい・・・orz

後編に続きます。
http://piapro.jp/content/i73r477fefnwbgs9

閲覧数:937

投稿日:2009/10/04 23:55:16

文字数:5,378文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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