月曜日。普段と同じように起きだした俺は、普段と同じように朝食を取り、学校へと出かけていった。いつもと同じ時刻に学校に着き、昇降口で靴を履き替えて、校舎に入って教室に行く。
 教室に入った俺は、いつもの癖でリンの席を見てしまった。リンは大抵俺より先に来るので、俺が教室に入ると、自分の席で本を読んでいるリンが普段なら見えるのだ。だが、今日はリンの姿はない。
 ……閉じ込められて、外には出してもらえないんだ。リンは大丈夫だろうか。
 自分の席に座ってぼーっとしていると、初音さんが登校してきた。リンの席を淋しそうな目で見て、それからこっちにやってくる。
「鏡音君、おはよう」
「おはよう、初音さん」
 俺は、初音さんにも大体のところを話すことにした。
「初音さん、ちょっといい?」
「ええ、リンちゃんのことでしょう?」
 俺は頷いた。
「話す機会がなくて言えずじまいだったけど、実は俺の姉貴、リンのお姉さんを知ってたんだ」
 初音さんは驚いた表情になった。
「リンちゃんのお姉さんって、今度結婚するあの?」
「いや、もう一人のお姉さんの方」
 引きこもってることは黙っておいた方が良さそうだ。
「姉貴の高校の時の後輩でさ……それで俺、昨日自宅に帰ってから、姉貴に頼んでそのお姉さんに連絡取ってもらったんだ」
「それで?」
「リンのお姉さんが教えてくれたんだけど、リン、閉じ込められているって」
 初音さんはショックを受けた表情で、目を見開いた。
「リンちゃん、大丈夫なの?」
「身体的には問題ないみたいだけど、精神的にはショック受けてるらしい。自分の父親が、俺のこと殴った上に、リンを閉じ込めたりしたから。俺は平気だって、伝えてはもらったんだけど」
 初音さんはため息をついて、自分の髪を軽く引っ張った。
「どう考えても、おかしいのはリンちゃんのお父さんよ」
「俺もそう思う。とにかく、そういうことだから」
「……わかったわ、教えてくれてありがとう。鏡音君、わたしやクオに協力してほしいことがあったら、なんでも言ってね」
 初音さんは強い口調でそう言うと、自分の席に戻って行った。……リンのこと、本気で心配なんだな。俺は、少しほっとするものを感じた。


 その日の四時間目、古文の授業の時だった。不意に、担任――ちなみに、担任の科目は英語なので、この時用事なんぞはないはずである――が教室に入ってきた。
「鏡音、ちょっと来い」
「何ですか?」
「いいから来い、大事な用事だ」
 わけがわからないまま、立ち上がって教室を出る。担任はそのまま、さっさと廊下を歩き始めた。仕方ないので、後をついて歩く。どこに行く気なんだ。
 担任の行き先は、校長室だった。……どうも不穏な空気が漂っている。一体何なんだ。
 中に入れと言われたので、入る。校長室の応接セットのソファに座っている人間を見て、俺はあっけに取られた。
「……姉貴!? なんでここに?」
「呼び出されたのよ、あんたが問題起こしたって」
「え?」
 俺と姉貴は同時に顔を見合わせた。そりゃ、姉貴は俺の保護者だから、何かあったら呼び出されるだろう。だが、俺は呼び出されるような問題なんか起こしてないぞ。
「鏡音、とにかく座りなさい。話をするから」
 担任に言われたので、姉貴の隣に座る。ソファの向かいには、校長と教頭が座った。……一体何の話があるってんだ。というか、俺が問題起こしたって……。ちらっと隣の姉貴を見ると、姉貴は厳しい表情をしていた。
「鏡音さん、担当直入に言います。レン君と同じクラスの巡音リンさんのご両親から、昨日学校に苦情がありました」
「はあ!?」
 俺は、思わずそんな声をあげてしまった。リンの両親が、学校に苦情を言ったって!? 苦情って、リンとつきあわせるなってことか? それ、学校が口挟む問題じゃないだろ。
「……そうですか」
 淡々とした声が隣から聞こえ、俺は思わずそっちを見た。姉貴が、ものすごく怖い顔をしている。弟の俺でも、滅多に見たことがないような顔だ。そんな顔のまま、姉貴はハンドバッグを手に取り、中に手を突っ込んで、何かを取り出した。そしてそれを、テーブルの上に置く。
 姉貴が取り出したのは、ICレコーダーだった。なんでこんなもの持ち歩いているんだろう。呆然としたままの俺には構わず、姉貴はレコーダーのスイッチを入れた。
「でしたら、これから先の会話は全て録音させて貰います。後で何か間違いがあったら困りますから」
「いや、鏡音さん、そこまでは……」
 姉貴は、きっと校長を睨んだ。年配の校長が、たじっとするぐらい鋭い視線だった。
「か・ま・い・ま・せ・ん・よ・ね? それとも、録音されたら困るような話でもするつもりですか?」
「い、いや……それは構いません、はい」
 姉貴は背筋を伸ばした。
「それでは、お話を伺いましょうか。苦情って、具体的になんです?」
 ……姉貴って、こんな話し方できたんだ。校長は、冷や汗を垂らしている。意外にビビリなんだな、校長って。
「鏡音さん……レン君の姉であるあなたとしては、弟の醜聞は聞きたくないでしょうが……巡音さんのご両親が言うところによると……レン君は、その……」
「はっきり言ってください。レンが、なんです?」
「その……巡音リンさんに、手を出したと……」
 俺は、ひっくり返るくらい驚いた。俺、リンに手を出したことになってるわけ? ……俺たち、キスしかしてないぞ。そりゃ、この前変な雰囲気になりかけたけど……あくまで、なりかけただけだ。
「つまりそちらは、うちのレンがリンちゃんに襲い掛かったと、そう言いたいんですね? 私の弟をいきなり犯罪者呼ばわりですか。事と次第によっては、名誉毀損で訴えますよ」
 校長は真っ青になった。……姉貴の言ったこと、かなり効いたらしい。
「い、いや、そこまでは……」
「じゃあ何なんです」
 姉貴が冷たく訊いている。
「いやだから、向こうの親御さんがそう言ってきたから、事実関係を確認しようと……」
「私は、レンの保護者として断言します。レンはリンちゃんに手出しなんかしてません。確かに二人は交流がありますし、リンちゃんが我が家に遊びに来たことだってあります。でも、その時はいつも私が一緒でした。レンがリンちゃんを襲う暇なんてありません」
 校長は相変わらず冷や汗をだらだら垂らしている。姉貴は、そんな校長を厳しい目で見つめていた。俺は、全く口を挟めず、ただ姉貴を見ていた。
「襲ったとは言ってません。ただ合意の上での行為であっても、うちの校則で不純異性交遊は禁止なので……」
「だからさっきも言いましたけど、レンがリンちゃんを連れて来たときは、私が同じ屋根の下にいました」
「いや……そういうことは家でなくてもできるかと……」
「レンがリンちゃんをホテルとかに連れ込んだ証拠でもあるんですか?」
 あるわけないよなあ。行ってないもん、そんなところ。
「…………」
「それに合意の上だと、リンちゃんにも責任はありますよね。二人の処分、当然同じになりますよね? まさかレンにだけ、責任を被せようと?」
 つーか、やってない! とはいえ、俺が口を挟むとややこしいことになりそうなので、黙っていることにする。
「どうなんです? どっちなんです?」
「え、えーと……それはもう一度、巡音さんと話をしないと」
「きちんと話を聞いてないのに、私を呼び出したんですか? 一体何を話すつもりだったんです?」
「いやだからその……」
「というか、リンちゃんはなんて言ってるんです? リンちゃんが自分の口から、レンとそういうことをしたって言ってるんですか?」
「えーと……」
 校長、しどろもどろだ。本来なら俺、怒るところなんだろうけど、怒る気が失せてくる。姉貴は怒ってるみたいだけど。
「……向こうの親御さんは、レン君がリンさんに手を出した。よって処分してくれとその一点張りで」
 何考えてんだよリンの親はっ!?
「『アラバマ物語』ですか? 言っておきますけど、今はあの時代じゃないんですよ」
 その例え、ズレてないか? あの映画は人種差別を扱ってるわけだし、そもそも俺たちはやっていない。というか、校長は『アラバマ物語』を知っているのだろうか。知らなかったら意味不明の発言になるぞ。
「だから、レンはリンちゃんに手出ししてませんし、仮に手を出したとしても、合意の上ならリンちゃんにも責任はあるはずです」
 水かけ論になってきたな。やったやってないの主張ほど、不毛なものはない。
 校長も教頭も黙ってしまった。姉貴は厳しい視線で二人を見ている。
「……何か行き違いがあったのかもしれませんので、もう一度状況を向こうの保護者に確認します。今日のところはこれでお引き取りを。ああ、レン君、君は残りの授業に出なさい」
 俺は一応頭を下げて、姉貴と一緒に校長室を出た。


「……何がどうなっているんだろ」
 校長室を出たところでそう言うと、姉貴は拳で俺の頭を軽くこつんと叩いた。
「あのねえ、向こうが嫌がらせを始めたに決まってるでしょ」
「それくらいわかってるよ。そうじゃなくて、何で俺、リンに手を出したことになってんのかなって」
 一度妙な雰囲気になりかけたのは事実だが、実際のところは何もしていない。リンだって否定するはずだ。くどいようだが、時代も状況も『アラバマ物語』じゃないんだ。
「あんたを学校から追い出すため」
 さらっとそう言う姉貴。俺はため息をついて、頭をかいた。
「けど、俺、まだ手は出してないぜ」
「向こうにとっちゃそんなのどうでもいいのよ。言いがかりさえつけられれば」
「リンが首を縦に振らないだろ」
 幾らなんでも、俺に襲われたなんてリンが言うはずがない。
「だからリンちゃんをわざわざ部屋に閉じ込めているのよ。余計なことを喋らせないために。向こうとしても、警察沙汰は避けようとするだろうから――証拠が何もない状態だし、警察だとリンちゃんの証言が必要になってくるし――学校の方だけどうにかできればいいんでしょう」
「そんなの上手くいくわけが」
「わからないわよ。もしかしたら、息子がそういうことをしたって聞かされただけで、ショックで息子を問い詰める人だっているかもしれないし」
 俺はつくづく、姉貴が姉貴で助かったと思った。ICレコーダーまで持って来たのにはびっくりだったが。
「そういや姉貴、よくICレコーダーを持ってくることなんて思いついたね」
「アトリエの人に警告されたのよ。後で言った言わないの論争にならないよう、全部録音しておきなさいって。それに、録音機が回ってるとなると、向こうもあまり居丈高に出られないしね」
 誰だか知らないけど、アドバイスに感謝しよう。
「レン、言っておくけど、向こうは多分、これじゃ引き下がらないわよ。リンちゃんのお父さんは、あんたがリンちゃんの傍をうろつくのが気にいらないの。だから、何がなんでもあんたを追い出そうとするでしょうね」
 それは……そうだろうなあ。あのお父さん、ものすごい剣幕だったし。だからってこんなことを言い出すとまでは、さすがに思ってなかったが。
「とにかく、あんたはもう教室に戻りなさい。母さんには、私から連絡しておくから」
 ややこしいことになってきたな……。母さんまで巻き込みたくはなかったんだけど。
「姉貴」
「なに?」
「このこと、リンには黙っておくよう、ハクさんには言ってもらえる? あまり負担をかけたくないんだ」
 閉じ込められているっていうだけで、かなり精神的に辛いはずだ。
「……わかった。でも、ハクちゃんの方には言っておくから」
 姉貴は、やれやれと言いたげな表情で頷いた。
 それにしても……リンのお父さんは、なんでこんなことまでするんだろう? 普通の人なら「大事な娘に手出しするな」ってことなんだろうけど、あのお父さん、どう見ても娘を大事にしているようには見えないんだよなあ……

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第六十二話【マネシツグミを殺すな】

 リンが閉じ込められている間に、外ではややこしいことになっています。
 それにしても、リンのお父さんってつくづく時代錯誤……。

閲覧数:967

投稿日:2012/04/10 19:35:21

文字数:4,914文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。第六十二話、読ませてもらいました。
    めいこさんかっこいいです!あたしのお姉さんになってください!
    が一番大きな感想です。
    リンのお父さんは何を考えているんでしょう。信じられないです。
    言いがかりつけれれば問題ない、みたいな感じですけど……頑張れ鏡音・初音軍団!
    では、続き楽しみにしてます。

    2012/04/11 06:01:23

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       ここ結構大事なポイントなので、めーちゃんには頑張ってもらいました。
       リンのお父さんが何を考えているかは……派手に苦情を言えば学校側が怖気づいてレンを追い出すと思っているんですよ。もともとそういうことをしてきた人ですから。そしてそれが自分の子供にどういう影響を及ぼすか、なんてことは、全然気にしていない人なんです。

       次の回はまたちょっとややこしいことになりますが……待っていてください。

      2012/04/11 23:53:05

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