第十章 悪ノ娘ト召使 パート2

 これで、今日の仕事は終わりだな。
 一つの商家を襲ったレンは、まるで日常業務を終えた直後の様に軽い調子でそう考えるとバスタードソードを鞘に収めた。最近、略奪に慣れ過ぎているのかもしれない、とレンは思ったが、それに対する感慨は不思議と何も湧かなかった。ここで奪った財宝がリンの生活を支える糧となる。そうすることで僕はリンの笑顔を見ることが出来る。だから、仕方のないことだ、と苦いものを飲み込むかの様に自身をそう納得させたレンは、財宝を抱えた兵士達と共に王宮へと戻ることにした。その途中、レン達に近付いて来る人の集団がある。最近になって黄の国の王宮に流れてきた流民達である。彼らは一概に酷い身なりをしていた。顔は煤で汚れ、暫くの間着替えをしていないらしいその洋服は汗と埃で薄黒くなっている。その民達に向かって、レンは先程特別徴収をしたばかりの金貨を取り出すと、下馬した上で近くの食料品店へと入店した。そこで大量のパンを購入し、流民達に分け与える。昨年から続く飢饉による品薄でパンの値段も信じられないくらいに上がってはいたが、それでも百余りのパンをなんとか確保すると、レンは流民達一人一人にそのパンを手渡しで配って行った。長い間風呂を浴びていないのか、どの流民達からも酷い異臭がしたが、レンはそれを気にすることなく、ただひたすらパンを配布し続ける。遠目から直属の部下である兵士達が嫌そうな表情でレンを見ていたが、それに対してレンは何も言わなかった。普通の感覚を持った人間ならば流民たちと触れ合うだけでも嫌がることはレンにも十分分かっていたのである。なら、どうして僕はこんなことをしているのだろう、と考えても理由は判然としない。ただ、自身が行っている略奪と言う行為を少しでも正当化する為に必要な行為なのかも知れないな、とレンは自嘲気味に感じているだけであったのだ。その行為が終わると、レンはようやく我に返ったかのように再び乗馬し、王宮への道を戻ることにした。急がないと、リンのおやつの時間に間に合わなくなる、とだけ考えながら。
 そのレンがリンの私室へと訪れたのはそれから三十分程度が経過した時であった。軍服はお気に召さない様子だから、あれ以来必ず執事服に着替えるようにしている。そのリンに対して、レンは未だに自身の秘密について語れずにいた。即ち、レンがリンの兄である、ということである。いずれは話さなければならない内容であることは十分に認識していたが、それでもどのように切り出せばいいのか、皆目見当がつかない。当面は今まで通り、召使としてリンの為に仕えよう、ということが今のレンの結論であったのである。そのレンはしかし、リンの私室に入室した時にリンが窓際の椅子に着席したままでぐすぐすと涙を流していることに気が付き、一体何があったのかと言葉を失った。
 「レン・・?」
 リンはレンの姿を目にすると、目を真っ赤にしたままでそう呟いた。まるで支えを失った天秤の様な不安定さで、小さく、救いを求めるように。
 「如何なさいましたか、リン女王。」
 レンはそう告げて、長机におやつの皿とティーセットを丁寧に配置した。普段ならその行動だけで長机にやって来るリンではあったけれど、今日は窓際の椅子から動こうとしない。代わりに、リンはレンに向かってこう言ったのである。
 「おやつ、いらない。」
 その言葉にレンは少なからず衝撃を受けた。これまで十四年仕えてきて、このセリフは初めて耳にしたのである。よほどショックな出来事があったのだろうか、と考えながらレンは更に言葉を紡いだ。
 「もし僕で宜しければ、リン女王が悲しまれている理由をお聞かせ願えませんか?」
 「・・こっちに、来て。」
 リンは小さく、そう言った。その言葉に従い、レンは窓際にあるリンの指定席へと向かい、そして膝を曲げてリンの視線に合わせるように自身の視線を移動させた。そして、もう一度訊ねる。
 「どうされたのです、リン女王。」
 その問いに、少しむずがる様に体を動かしたリンは、震える声でこう言った。
 「カイト王が、あたしを裏切ったの。」
 「カイト王が?」
 素直に、レンはそう言った。カイト王が裏切ったのはレンには既に気がついていたが、リンが未だにカイト王の事を信じていたのは先日レンに預けられたカイト王宛ての手紙からも推測出来る。だから、まるで初めて知ったかの様にレンは顔をしかめて見せた。
 「そう。カイト王が、黄の国に攻めてくるの。ルカが、教えてくれたの。」
 青の国が。その言葉を耳にした瞬間、レンは内臓に冷たい氷を押し込まれた様な感覚を味わった。あの、強国である青の国が、財政破綻寸前の黄の国へと攻めてくる。それは恐怖以外の何物でもなかった。今の黄の国の軍で青の国に勝てるのか。そう考え、レンは言葉を失ったのである。
 「レン、勝てるよね?あたしを裏切ったカイト王を、倒してくれるよね?」
 続けて、リンはレンに向かってそう言った。正直に言って、勝てる自信はまるでない。それでも、負けるとは言えない。そう判断して、レンは無理な笑顔を見せるとリンに向かってこう言った。
 「もちろんです、リン女王。我が黄の国王立軍は必ずやカイト王の首級を上げることでしょう。」

 「ロックバード!」
 半ば蹴破る様にしてロックバード伯爵の私室の扉を開けたルカは、私室に飛び込むなりそう叫んだ。その声に苦笑するように顔を上げたロックバード伯爵は、ルカに向かってこう言った。
 「青の国の件か?」
 その言葉に拍子抜けしたのはルカである。見ると、私室には神妙な表情のガクポまでいる。どうやら早速軍議に入っていたらしい、とルカは考え、呆れたようにこう言った。
 「耳が早いわね。」
 どうやら黄の国の情報網はまだ死んではいないらしい。ルカよりも早く情報が手に入ったというならば専門の早馬を使ったに違いないと考えたのである。
 「早くもないさ。儂の耳に届いたのはほんの一時間ほど前だ。」
 成程、私とほぼ同じスピードで早馬が駆けていたのか、と妙に納得したルカは、更にこう言った。
 「どうする?青の国は三万の軍で攻めてくるわ。もうリン女王から迎撃の許可は頂いてきたけど。」
 「行動が早いな。」
 ロックバード伯爵はそう言いながら机の上に既に広げられているミルドガルド全図を眺めながら、言葉を続ける。
「出来るならザルツブルグに立て篭もりたいところだが。」
 そう言ってロックバード伯爵は青の国と黄の国の丁度中間地点にある山地の一点を指さした。ここならば高低差を利用しての攻撃も出来る。それに道が細くなっている上に木々で覆われているから伏兵も仕掛けやすい。迎撃には最適の場所と言えた。だが、今から出立したところで、ザルツブルグには間に合わないな、とロックバード伯爵は冷静に考察する。青の国の軍が出立したのは今から一週間ほど前だという。ならば既にザルツブルグ近辺に到達している頃合いだろう、と判断したのである。他に適度な防衛拠点があればいいが、ザルツブルグを越えられると残されているのは割合平坦な道ばかりだ。結局は行ける所まで行って、青の国の軍と付き合わせた場所で戦うしかないか、と考える。
 「平地の戦いでも、赤騎士団で掻き回せば勝機があるのではなくて?」
 ルカが真剣な表情でそう言った時、ロックバード伯爵は思わず瞳を落とした。どうしてそんな表情をするのだろう、と考えたルカに向かって、ロックバード伯爵は嘆息交じりにこう告げた。
 「赤騎士団はもう存在しない。」
 「なんですって?」
 流石に驚いたのか、ルカにしては珍しく上ずった声を上げた。そのルカに向かって、ロックバード伯爵は更に言葉を続ける。
 「緑の国の戦いの後、メイコが除隊した。その後、赤騎士団を継いだアレクもリン女王の略奪命令に反発して軍を逃亡した。騎士がいても、率いるに足りる人間がいない部隊はもう機能しない。」
 「メイコと、アレクが・・。」
 呻くようにそう言ったルカは、それと同時に末恐ろしい感覚に陥った。グミの失踪。メイコの除隊。アレクの逃亡。そして、カイト王の進軍。全くばらばらの現象に見えたこの四つの項目が、何故かルカの脳裏で一つに纏まったのである。
 「ロックバード、メイコに監視はつけているの。」
 ルカがそう言った瞬間、ロックバード伯爵もルカと同じことに気がついたらしい。珍しく慌てた様子でロックバード伯爵はこう呻いた。
 「まさか、あの娘に限って・・。」
 「念には念を、よ、ロックバード。私は今からメイコの自宅に向かうわ。ロックバードはすぐに青の国の迎撃準備をして頂戴。」
 ルカはそう言うと、すぐに体を反転させ、そのまま退出すべくロックバード伯爵の私室の扉に手をかけた。そのルカに向かって、ロックバード伯爵は少しだけ鋭く、こう告げる。
 「一人で大丈夫か?」
 その言葉に首だけで振り返ったルカは、妙に色気のある仕草でこう言い返した。
 「一人で行くしかないでしょう。ガクポも青の国の迎撃に向かわせないと厳しいでしょうから。」

 その頃、メイコの自宅では三人の男女が反乱の最終工程についての確認を進めているところであった。メイコとの初対面を果たして以来、メイコとアレク、そしてグミによる奇妙な共同生活が続いていたのである。常に戦場に身を置いていたメイコにしてみれば今更アレクと同じ屋根の下で眠ることに何の抵抗も感じていなかったが、戦の経験が浅いグミにしてみれば未婚の男性と同棲するという行為は違和感の塊であった。それでも我慢してこの一カ月近い時間の共同生活に耐えて来たのはひとえに間もなく目的が果たせると言う希望を持っていたからに他ならない。そして間もなく、蜂起できる。そう考えて妙に興奮したまま、グミはアレクが広げた黄の国城下町の地図を覗きこんだのである。
 「黄の国の軍はおそらく今日か、明日にでも王宮を出立するものと推測されます。」
 戦となると常に冷静な態度を保つアレクは前置きとばかりにそう言った。青の国の軍が出立したという報告はつい先程メイコ達の元にも届けられている。後は青の国と黄の国の開戦を待つばかりという状態であったのだ。既にザルツブルクに残してきた赤騎士団脱走兵の五十名も城下町への配備を完了させている。目立たぬように分散しているが、蜂起の知らせが起こればすぐにでも行動を移せる状態となっているのだ。他に、反乱への参加を決意した兵士は除隊した兵士を中心におよそ五百。数こそ少ないが、黄の国王立軍の主力が抜けている状態ならば十二分に勝機があるとアレクは考えているのだ。そのまま、アレクは言葉を続けた。
 「蜂起する場所はこちら、南大通の中央にある南広場を予定しております。」
 そう言ってアレクは城下町の南部の一点を指し示した。黄の国の城下町に複数存在する広場の中でも最大の広さを持ち、その周辺には住宅の密集地帯が広がっている。ここならば住民の扇動も容易いだろうという判断であった。
 「どのくらいの兵士が王宮に残るのかしら。」
 そう訊ねたのはメイコである。
 「おそらく、数千程度かと。青の国が三万の兵力で攻めてくる以上、迎撃には少なくとも二万の兵力が必要です。今の黄の国王立軍の兵力は既に三万を切っていますから、残る兵力は多くても五千程度でしょう。」
 「それでも、私達の十倍ね。」
 「後は、住民の扇動次第かと。」
 アレクはそう言って言葉を区切った。だが、住民だけではなく、未だ黄の国王立軍に残る兵士の扇動も可能ではないか、とアレクは考えていたのである。何しろこちらの総大将はメイコ隊長だ。未だにメイコ隊長を崇拝している兵士は多いはず。それに兵士達は今略奪に精神を疲労させた状態だ。簡単に靡く可能性は十分にある。それに、今回はグミ殿の魔術も味方であるし、負ける要素は少ないだろう、とアレクは考えたのである。
 その時、メイコの自宅の扉が丁寧に二度、ノックされた。そのノックに、アレクは短くこう呟く。
 「赤。」
 「緑。」
 返って来た合図に安堵しながら、アレクは来客者に入室を促した。赤はメイコの髪、緑はグミの髪。この反乱の中心人物となる二人の女性をイメージした、簡単な暗号であった。入室者は、ザルツブルグでグミと食事を共にした元赤騎士団であるシルバである。
 「アレク隊長、ルカ殿が兵士を連れてこちらに向かっております。」
 ルカが。その名を耳にした瞬間、アレクは苦笑いをしながらメイコに向かって目配せをした。その無言の問いに対して、メイコはしっかりとした声でこう答える。
 「今の段階でルカ殿に気取られる訳にはいかないわ。グミ殿、お願い。」
 メイコがそう言った時、先程よりも勢いのある音でドアがノックされた。思いのほか早くルカ殿がやって来たらしい。そして、壁の外からルカの声が響いた。
 「メイコ殿、いらっしゃるのなら出てきて頂戴。」
 その声に少しだけ肩をすくめたメイコは、グミに向かって一つ頷いた。それに合わせるように、グミは小さく魔術を唱える。
 「ワープ。」
 グミがそう唱えた瞬間、メイコの私室にいた四人と、そして机の上に広げていた黄の国城下町の地図が忽然と姿を消した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン54 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第五十四弾です!」
満「前作と若干だが方向性が変化してる。」
みのり「そうだよね。どうなるのかしら。」
満「今後の展開を考えて書いているからな。前は一気に方を付けるように執筆したが、今回はその必要がない。」
みのり「それじゃあ、次回に期待しましょう☆それでは!」

閲覧数:320

投稿日:2010/05/03 20:13:15

文字数:5,448文字

カテゴリ:小説

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