悪ノ覚悟 正義ノ傲慢

 どれくらい経ったのかな。
 鉄格子をぼんやりと眺めて、リンはふと思う。閉ざされた地下牢では外の様子も分からない。格子付きの窓が天井近くにあるので、精々昼か夜かの区別が付く程度。就寝と起床の回数もでたらめになってしまい、時間の感覚はとっくに消えてしまった。
『悪ノ王子』の惨めな姿を嘲笑おうと、幽閉された直後は度々人が来ていたが、この所は食事が運んで来る兵が姿を現すだけ。革命軍の兵達は囚われの王子を見世物にするのに飽きたのだろう。
 一度だけ、緑の王女がここにやって来た。反乱は当然の報いだの、平和を乱した悪魔の子だのと散々罵声を浴びせられた。特に糾弾されたのは、青の国への侵攻とカイト王子が暗殺された事についてだ。どうやらレンがカイト王子を殺したと思い込んでいるらしい。
 黄の国民やカイト王子の為だと息巻いていたが、緑のお姫様の目的は復讐だ。ただし全く自覚は無く、まるで英雄にでもなったような態度だった。
 リンは床に視線を落とす。脳裏に浮かぶのは己の半身。ここにいるのが自分で良かった。もし入れ替わらなかったら、弟は恋した相手に罵られていた事になる。
 レンは上手く逃げられただろうか。リリィと合流出来ただろうか。
 王宮を脱出した後、二人が合流出来るかは正直賭けに近い。リリィが革命軍に殺される可能性や、レンと入れ違いになる事も充分あり得る。捕まって地下牢に来ていないので、革命軍に見つかったりはしていないようだが。
 掛け布も無いベッドに腰掛けたまま、リンは過去に思いを馳せる。
「あの頃よりは良い、よね」
 暮らしだけに限定すれば、キヨテルに助けられる前より今の方がマシだと言えた。粗末でも死なない程度の食事は与えられるし、飢えた野犬や明日生きているかどうかの不安に怯えなくて済む。季節柄冷え込む時もあるが、厚着の王族衣装のお陰で寒さはしのげる。
 何日もまともな物を食べられず、外敵に神経をすり減らし、冬でも満足な暖を取れない頃と比較すると雲泥の差だ。
 皮肉なものだと自嘲する。王宮を追放され、底辺を這いずって生きていた経験があるが故に、幽閉状態がさほど苦に感じないとは。
 石造りの床を叩く音。足音が響いて静寂を破り、除々に大きく変化してリンの耳を打つ。誰かが近付いて来るのを察して、リンは鉄格子へ目を向ける。革命軍兵士か緑の王女でも来たのかと予想したが、牢の前で足を止めたのはどちらでも無かった。
「レン王子」
 鉄格子の向こう立つのは、赤い鎧を着た女性。多分彼女だけだろう。現在王宮にいる人間でレンの名前を呼ぶのは。革命軍兵士ならともかく、緑の王女ミクすらレンを『悪ノ王子』と蔑み、誰も名前で呼ぼうとしなかった。
「貴方の処刑日時が決まりました」
 リンは顔を上げ、メイコを正面に見据える。無言で肯定を伝えると、固い口調でメイコは続けた。
「三日後の午後三時、貴方は国民の前で断頭台にかけられます」
 公開処刑。悪ノ王子が見せしめに殺されないと革命は終わらない。黄の国が新しい時代を迎えるにはどうしても必要な儀式だ。
「……そうか」
 レンの声で短く返し、リンは黙り込む。すぐに立ち去ると思っていたが、メイコは牢の前に佇んで王子を見つめている。一向に踵を返さない彼女に眉を寄せ、リンは鬱陶しそうに手を振った。
「用件は済んだんだろう? 早く去れ」
 追い払われているにも関わらず、メイコは優しく微笑んでいた。
「変わられましたね、王子」
 先程とは打って変わった口調で話しかけられ、驚いたリンは一瞬硬直する。『悪ノ王子』に温かい言葉をかけられるとは想像もしていなかった。
「人は変わるさ。メイコ先生、貴女が王宮に剣を向けたように」
 リンは皮肉を込めて返答する。六年ぶりに会ったレンに吃驚したのは良い思い出だ。幼い頃は『僕』と言っていたが、今では『俺』と言っていないとおかしく感じる。
 王子の当て付けを聞き流し、メイコは冷静に言い放った。
「芝居は終わりにしませんか。王子」
 リンは背筋を寒くする。まさか、疑われているのか。捕えた王子が別人だと。
「芝居? 俺が虚勢を張っているように見えるのか。なら貴女の目は節穴だ」
 動揺を押し殺し、間髪を入れずに答える。『悪ノ王子』になりきれていたはずだった。しかし即答がメイコの不審を深めてしまったらしい。
「そんな言葉遣いは似合いませんよ」
 微笑んで言われたのは穏やかな諌め。思いがけない追究に訝ったリンへメイコが宣言する。
「黄の国王子レン様の姉君。リン王女様」
 リンは息を呑む。『レン』でも『王子』でも無く、確かに『リン王女』と呼ばれた。何故メイコは黄の王女が生きているのを知っている? 影武者を想定しても、それがリン王女であるのは皆無のはず。
 黄の国王女リン・ルシヴァニアは、公では五年前に死んだ事になっているのだから。
 メイコが気付いていようといまいと、『悪ノ王子』を演じるのみ。正体を明かす訳にはいかない。たとえ昔と変わらずに接してくれたのが嬉しくても。
「頭がおかしいな。俺の姉様はとっくに」
「リン王女」
 発言を遮られる。メイコを欺くのは無理だと悟りながら、リンは自分の存在を否定して王子を演じる。
「リンは五年前に死んでいるんだ。勝利に浮かれて幻覚でも見てるんじゃないのか」
「リン王女」
 メイコの呼びかけは変わらない。彼女が首を横に振ったのを見て取り、リンは諦観の念を抱く。
 ああ。駄目か。
 溜息を吐いて天井を仰ぐ。白を切っても無駄だ。メイコは確信している。目の前の王子がレンではなく、彼の双子の姉であるのを。死んだはずの王女が生きていた事を。
 粗末なベッドが軋む。立ち上がったリンはメイコに近付き、鉄格子を挟んで向かい合った。レンを演じるのを止めて口を開く。
「……いつから気付いてたの?」
 メイコを見上げて訊ねると、彼女はすんなり疑問に答えてくれた。
「王子の姿を見た瞬間から違和感はありました。確信を持ったのは、貴女を地下牢に連行する時です」
 つまり、ほとんど最初から気付いていたと言う事か。リンは不甲斐無さに唇を噛み締める。宰相にばれていた時もそうだ。自分はいつも迂闊で詰めが甘い。
「不肖ながら王子の師匠ですから、何となく違うと分かったんです。それに、捕虜からレン王子と良く似たメイドの話を聞いていました」
 ばれたのは貴女のせいではない。不安を見透かしたようにメイコが告げ、リンは僅かに安堵した。
「教えて下さい。青の国への侵攻や家臣の粛清。民を苦しめる圧政は、本当にレン王子の意思なのですか?」
 真摯な態度で問われ、リンは目を見張る。メイコは否定を望んでいるように感じる。革命軍の統率者でありながら、彼女は王子の行動を疑っているのか。
弟を、信じてくれている。リリィや近衛兵隊だけじゃ無かった。王宮の外にもレンの味方はいたのだ。
「やっぱりレンは凄いな。何年も離れていた人にも信頼されてる」
 涙を堪えてリンは呟く。メイコへレンの意図を打ち明けようと、口を開いた時。
「一体どう言う事なの?」
 割って入った足音と苦情にメイコが振り返る。聞かれていた、とリンは血の気が引く感覚に襲われる。だが、直後に湧き上がった嫌悪感がそれを忘れさせた。
 そもそも、この女がレンを追い詰めたのではないか。リリィ達のお陰で持ち直した心を決壊させて『悪ノ王子』へと走らせ、今回の事態を招いたのだ。
 黄の国の反乱に首を突っ込んで王都の治安を乱し、レンを余計に苦しめた緑ノ娘。火に油を注いでおきながら、悲劇の主人公を気取るお姫様。
 メイコの隣に現れた浅葱色の髪を、リンは冷ややかに睨みつけた。

「ここにいるのは、レン王子では無いのですか?」
 混乱をありありと浮かべ、ミクは牢の中とメイコを交互に見やる。一人の時はレンを『悪ノ王子』と呼んでいたが、メイコの前ではきちんと名前で呼ぶらしい。猫を被る緑の王女が癇に障ったリンは、怒気を押し殺して言った。
「だとしたら?」
 男女どちらとも聞こえるよう、あえて声を低くする。世間知らずの王女に演技が見破れる訳が無い。そう高を括った通り、緑の王女は真顔で叫ぶ。
「貴方は王子に利用されただけでしょう? レン王子の居場所を教えなさい。そうすれば助けてあげられるわ」
 レンが身代わりにしたと疑わない発言は、リンの感情を逆撫でする。忘れていた怒りが沸々と湧き、リンは自然と言葉を発していた。
「調子に乗るな。この偽善者」
 冷たく響いた声が緑の王女を突き刺す。表情が引きつった彼女に構う事無く、空気を凍らせた本人は更に斬り付ける。
「民を圧政から救う英雄にでもなったつもりか? 黄の国の王にでもなったつもりか?」
 自分の行動を否定されるとは考えてもいなかったのだろう。緑の王女は顔面蒼白で微かに震えていた。怯える様子を無視して、リンは容赦なく止めを刺す。
「思い上がりも大概にしろ。正義の盲信者が」
「何ですって!?」
 あっさり感情を爆発させ、喚く緑の王女には呆れるしかない。王族がこれでは亡命者が出るのは当たり前だ。青の国への旅行で会った銀髪の男女が故国を捨てるのも納得である。そう言えば、あの二人は今どうしているのだろう。
 思考が脇道に逸れたのに気付いたリンは頭を本筋へ戻す。いくら政略があったとは言え、なんでレンが緑の王女に惚れたのかさっぱり分からない。恋は盲目と言う奴だろうか。
 怒りで顔を赤くしたミクがまくし立てる。
「程度が知れるわね。カイト様を殺した王子は身代わりの教育も」
「違う!」
 突如少女の声が反響する。ミクは口を閉ざし、声の主である王子へ怪訝な表情を浮かべた。
 鉄棒越しに緑の王女を睨み上げ、リンは本来の声で告げる。
「カイトさんを殺したのはレンじゃない」
「……え?」
 信じていたものを呆気なく否定されたからか、緑の王女は呆けた反応を見せる。この女を付け上がらせるのはもう限界だ。黄の国を恨むのは仕方がないとして、勝手な思い込みでレンを憎むのは我慢ならない。
 メイコだけに話すつもりだったが、西側のお姫様にも教えるべきだろう。真実の重さに発狂しても知った事か。レンが受けた苦痛に比べれば軽い罰だ。
 リンは語り出す。レンが何を為そうとしていたのか。革命軍が国民に認められたのは誰のお陰かを。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第56話

 リンの怒りも大爆発。

 一話で終わらせる予定だったのですが、文字数に納まりきらなかったので結局二話分に……。文章が多くなる癖が付いてしまっています。

 根拠は無くとも、『なんか変』『何となくおかしい』って感覚は割と馬鹿に出来ませんよね。

閲覧数:495

投稿日:2013/09/20 16:40:30

文字数:4,254文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました