劇場で足をくじいてから一週間が過ぎて、また日曜日がやってきた。もともと予定の入っていなかった日だし、足もまだ痛むので、当初は自宅で大人しくしている予定だった。けれど、ミクちゃんから「うちに遊びに来ない? 一緒にホームシアターで映画でも見ましょう」とお誘いが来たので、出かけることにした。
「リン、出かけるのか?」
 出かける支度をして階下に行くと、珍しくお父さんがいた。お父さんは仕事が忙しいので、休日でも家にいることは少なかったりする。
「ええ。ミクちゃんからお誘いが来たから、ミクちゃんの家に行ってきます」
「向こうのご家族に失礼のないようにな」
 ミクちゃんのお父さんが経営している初音コンツェルンは、巡音グループとは深い繋がりがある。だから、わたしの交友関係にうるさいお父さんも、ミクちゃんとのつきあいだけは口を挟まない。……いや。
 本当のことを言うと、一度だけ挟もうとしたことがあった。
 ……思い出しちゃ、だめ。
「行ってきます」
 家を出ようとすると、お母さんが「これを持っていきなさい」と、ケーキを入れた箱を渡してくれた。ミクちゃんは甘いものが好きだから喜ぶだろう。わたしは家を出て、車でミクちゃんの家に向かった。


「リンちゃん、いらっしゃい」
 ミクちゃんの家には、ミクちゃんしかいなかった。
「ミクちゃん、お父さんとお母さんは?」
「今日は二人とも、イベントがあるとかで出かけてるの。さ、あがってあがって。あ、それ何?」
 ミクちゃんはめざとい。わたしは「お母さんから」と言って、ケーキの箱を渡した。ミクちゃんは箱を開けて、中のケーキを確認すると、嬉しそうな顔になる。
「わあ、お手製ケーキだ。リンちゃんのお母さんにありがとうって言っておいてね」
 ミクちゃんはお手伝いさんを呼んで、ケーキの箱をことづけた。
「今日の映画はDVDコレクションからえりすぐったのを用意してあるから、楽しみにしててね」
 わたしはミクちゃんと一緒に、ホームシアターが設置してある奥の部屋に向かった。
「リンちゃんは座ってて。今映画の準備するから」
 言われたのでソファに座る。目の前のテーブルには、DVDが何枚も積んであった。ミクちゃんはその中から一枚を手に取る。と、その時。部屋のドアがバタンと音を立てて開いた。
「あれ、ミク。お前、なんでここにいるんだ」
 入ってきたのは、ミクちゃんの従弟のミクオ君だった。それと、何故か鏡音君が一緒にいる。
「あ、クオ。今日はリンちゃんと映画を見ようと思って」
「ちょっと待て。今日は俺がホームシアター使う日だぞ」
「そんなの聞いてな~い」
 ミクちゃんとミクオ君は、何やら揉めはじめた。
「何言ってんだミク。俺、昨日ちゃんと話しただろ」
「聞いてないってば」
「お前、先週もホームシアター独占してただろ。今日は譲れよ」
「え~、嫌~。折角リンちゃん呼んだんだし」
「やかましい。こっちだって都合があるんだよ」
 二人の口論は収まらない。わたしは困ってしまった。
「ミクちゃん……。わたし、今日は帰ろうか?」
「ダメっ! リンちゃんがクオに遠慮することないのっ!」
「あ~、じゃあ俺が帰る」
「レン、帰るんじゃないっ! 俺をこの状況で一人にするなっ!」
 わたしは、思わず鏡音君と顔を見合わせてしまった。これじゃあ帰るに帰れない。どうしたらいいんだろう?
 と、ミクちゃんが立ち上がった。
「……ちょっとクオと話をつけてくるから、リンちゃんはここで待ってて。帰っちゃダメだからね」
「レン、俺が戻ってくるまで勝手に帰るなよ」
 ミクちゃんとミクオ君は部屋を出て行き、わたしは鏡音君と部屋に残されてしまった。……なんだか気まずい。こんな風に、よく知らない人と部屋の中で二人きりになるのは初めてだ。
「……いつも、ああなの?」
 ちょっとしてから、鏡音君がそんなことをわたしに訊いてきた。
「え、いつもって?」
「クオと初音さん」
「大体あんな感じかな」
 ミクオ君のことはよく知らないけれど、ミクちゃんといるといつも賑やかなのは確かだ。
「大変だなクオも。あ、そっち座っていい?」
 わたしが頷くと、鏡音君はソファの少し離れた位置に座った。
「あの二人、どれぐらいで戻ってくると思う?」
「さあ……わたしも、あんなに派手に揉めてるのは初めて見たし」
 わからない、としか言いようがない。
「クオの奴一体何やってんだか……。そういや巡音さん、足の具合はどう?」
「まだ痛いけど大丈夫よ」
「巡音さんは、初音さんとは仲いいの?」
「ええ。幼稚園の頃からのつきあいだから」
「そりゃ長いね」
 そこで一度話が途切れた。そのまま沈黙が落ちる。ものすごく気まずい。
 ミクちゃんとミクオ君はなかなか戻ってこない。早く戻ってきてくれないだろうか。
「巡音さんたちは、今日は何見る予定だったの?」
 唐突に、鏡音君が口を開いた。
「え?」
「いやだからさ、映画。俺とクオはホラー見る予定だったんだけど、そっちは何を見る予定だったのかなって思って」
「聞いてないの。ミクちゃんは『楽しみにしていて』としか言わなかったし。でも、多分ラブコメじゃないかな」
 ミクちゃんはラブコメや青春映画が好きだ。そういう映画を見る時のミクちゃんは、とても楽しそう。
「初音さんはラブコメが好きなのか。クオはああいうの苦手みたいだけど」
「そうなの?」
「前そういう話をしてたよ。あれじゃ度々揉めてるだろうね。巡音さんは?」
 わたしは鏡音君が何を訊きたいのかよくわからず、返事に詰まってしまった。
「だから、ラブコメとかが好きなの? それとも悲恋物の方がいい?」
「え……」
 あんまりそういうことを考えたことはない。だから、答えようがない。ああもう、ミクちゃん早く戻って来ないかな。
「単純にどっちが好きなのかって話なんだけど。あ、どっちも好きなの?」
「…………」
「この前『ロミオとジュリエット』見てたし、『椿姫』読んだりしてたから、巡音さんって悲恋物が好きなのかって思ってたんだよね」
「あれは、たまたまそういう組み合わせになっただけで……」
『ロミオとジュリエット』を見に行ったのは、いつも行く劇場にかかっていたからであって、別にあれが『コッペリア』でも『くるみ割り人形』でも構わなかった。『椿姫』にしても、適当に家の書棚から持ってきただけであって、是が非でも読みたかったわけじゃない。
「……巡音さん、俺何か悪いこと訊いた?」
 不意に、鏡音君がそう口にした。
「え?」
「あ……いや……」
 ……また沈黙。何だか息苦しい。時間だけが過ぎていく。時計の針の音が、何だか妙に大きく聞こえる。
 やっぱり帰ってしまおうか。と、その時。ドアが開いた。
「ごめんね~、二人とも。待たせちゃって」
 ミクちゃんとミクオ君が戻って来たのだ。わたしはほっとして、大きく息を吐いた。
「ミクちゃん、お帰り」
「とりあえずクオとは話がついたから」
 にっこりと笑って、ミクちゃんは隣のミクオ君を見た。
「で、結論は?」
 鏡音君が尋ねる。
「うん。今日のところは四人で揃って映画を見ようって」
 ……え? わたしは思わず鏡音君の方を見た。鏡音君もこの結論は予想外らしく、驚いている。
「クオ、お前、それでいいの?」
「しょうがねえだろ。レン、悪いが今日はつきあってくれ。俺、この状況で一人になりたくない」
「というわけだから、詰めて詰めて」
 ミクちゃんがソファにやってきて、わたしを軽く押した。わたしは押された方向、つまり鏡音君が座っている方向に詰める。ミクちゃんはわたしの隣に座った。
「じゃんけんでわたしが負けたから、最初の映画はクオが選んだ奴だけど、リンちゃん、辛抱してね」
「ミク、お前、一々うるさいよ」
 プレイヤーにDVDをセットしているミクオ君が、不満そうにそう言った。リモコンを手に、ミクちゃんの反対側の隣に座る。
 そして、映画が始まった。


「クオのバカっ! 変態っ!」
「…………」
「何考えてんのよっ! 信じられないわっ!」
「…………」
 映画上映会は十分も経たないうちに中止に追い込まれていた。ミクちゃんが悲鳴をあげて、ミクオ君の首を絞め始めたからだ。
「あんなグロい映画見せるなんてっ! クオの悪趣味悪趣味悪趣味っ!」
「…………」
 ミクオ君が再生したDVDは、鏡音君がさっき言ったとおり、ホラー映画だった。ゾンビが人を襲う話、らしい。らしいというのは、よく見ている暇がなかったから。で、画面にそういうシーンが映るやいなや、ミクちゃんが盛大な悲鳴をあげ、ミクオ君に飛び掛かったというわけだ。
「ねえ、巡音さん」
 リモコンの停止ボタンを押した後で、鏡音君がわたしに声をかけてきた。
「何?」
「初音さんって、ホラー苦手だったりする?」
「……そう言えば、わたし時々ミクちゃんと映画見るのだけど、ホラーは一緒に見たことがないわ。わたし、ホラー映画って見たの、これが初めて」
 ミクちゃんは相変わらず叫びながら、ミクオ君の首を絞めている。ミクオ君、顔の色が変わってきているような……。
「初音さん初音さん」
 見かねたのか、鏡音君が立ち上がって、ミクちゃんの肩をぽんぽんと叩いた。
「それくらいで勘弁してあげて。クオ、白目むいてる」
 ミクちゃんは我に返ったのか、ミクオ君の首を絞める手を放した。ミクオ君の頭がソファの腕木にぶつかって、鈍い音を立てる。でも、ミクオ君は動かない。
「きゃ~っ、クオ、しっかりしてっ!」
 ミクちゃんは今度はミクオ君を揺さぶり始めた。その度にミクオ君の頭が腕木にぶつかってるんだけど……。
「ねえ、ミクちゃん……そっとしておいてあげた方がいいんじゃないの?」
「リンちゃんっ! クオが起きないっ! どうしようっ!」
 ミクちゃんはミクオ君を離すと、わたしにしがみついてきた。また鈍い音が……。
「えっと……多分大丈夫よ」
 わたしはミクちゃんの頭をそっと撫でた。鏡音君がミクオ君の近くにしゃがみこみ、軽く頬を叩く。
「お~い、クオ。生きてるか?」
「う……」
 ミクオ君は首をさすりながら起き上がった。良かった、無事だったみたい。
「ほら、ミクちゃん。ミクオ君は大丈夫だったから」
「悪いが……全然大丈夫じゃねえ……ミク……俺を殺す気か……」
 ぜいぜいと荒い息をしながら、ミクオ君はそう言った。
「クオ、良かった! 生きてたのね!」
 ミクちゃんは、今度はミクオ君に抱きついた。
「誰の……せいで……死にかけたと……」
「あーん、クオ! ごめんなさいっ! わたしがやりすぎたわ!」
 ミクちゃんも反省はしているらしい。ミクオ君の方も、それ以上追求する気は無くしたようだ。
「で、映画はどうする?」
「ホラーは嫌よっ!」
 鏡音君の質問に、ミクちゃんが叫ぶ。
「じゃあ、初音さんが見たい映画を見るということで。それでいい?」
 鏡音君がわたしの方を見たので、わたしは頷いた。ミクオ君も「もうそれでいいよ……」と、投げやりに言う。
「じゃあわたしのお薦め映画を……」
 ミクちゃんが立ち上がって、DVDをプレイヤーにセットする。そうして、邪魔ばかり入った映画上映会は、再開したのだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第四話【まるでもの凄い鍛冶屋の中に】

もちろん、前半のクオとミクは本気で喧嘩しているわけではありません。
後半は本気、ですけどね。クオごめんよ。

閲覧数:1,756

投稿日:2011/07/25 19:35:46

文字数:4,628文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

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  • 苺ころね

    苺ころね

    ご意見・ご感想

    読ませていただきました~
    すごく面白いです(・ω・)つ

    続き楽しみにしてます★

    2011/07/25 23:48:47

    • 目白皐月

      目白皐月

      納豆御飯さん、初めまして。目白皐月です。

      メッセージありがとうございました。
      面白いと言っていただけて嬉しいです。
      第5話は明日ぐらいには投稿できると思います。
      では。

      2011/07/27 23:08:04

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